こころあそびの記

日常に小さな感動を

月影を踏みつつ

 

 夜明け前の空に満月が浮かぶ朝でした。

 ドビュッシー『月の光』の静けさが感じられなかったのは、眩しいお月様のせいだけではありません。西の空から冬の星々の騒がしいおしゃべりが聞こえてきたからかもしれません。

 真上には北斗七星が上っているのが見えまして、その柄の先には、春の星スピカが白く輝いています。

 数えるほどしか星のない静かな春の空もいいなぁと思います。凍てつく冬の朝は、格別です。

 

 

 

 子どもの視力が落ちているというニュースがありました。

 私たちの上の世代は、勉強しすぎといわれ、私たち世代はテレビの見過ぎで、その下の世代はゲームのし過ぎでしたっけ。

 現代人がこれだけ過酷な使い方をしているのに、この程度の視力劣化ですんでいるというほうが驚きです。

 人間に与えられた適応力は、計り知れないものがありそうです。

 

 みんなが大好きなゲーム。

 今から十年ほど前、久保田カヨ子おばあちゃんの本がベストセラーになったことがありました。

 彼女は、ゲームを否定しませんでした。

 幼いうちからゲームをすることで、脳へ良い影響をもたらすというのが持論でした。

 動きの早い画面展開が、集中力を高めることに繋がるともいわれました。

 ただし、ゲームの合間に外を一周すること、画面から目を離す時間を持つことが条件でした。

 この提唱者、久保田カヨ子さんは、脳科学権威の久保田競の奥さんだったことから、その信憑性に飛びついたところもありました。

 

 

 視力のこの先は分かりません。

 眼鏡からコンタクトレンズ。そして、レーシックと矯正の方法も進歩してきました。

 しかし、大谷選手が腕の手術に迷ったように、誰でも、もとの体にメスを入れることは抵抗があります。

 この抵抗が人間の証だと思っている時点で、私は現代からこぼれ落ちていますよね。

 

 

 こういう調査を目にするたびに、人間は状況に応じて変化できるのではないかと考えます。

 私を育てた戦後復興期の親は、食べるものがないという危機感がなかなか払拭できない世代でした。

 だから、食べる幸せを何よりも優先してくれました。

 「まんぷく」。それが、あの朝のドラマの中だけでなく、世の中が求める最大のものでした。

 

 ところが、豊かになった現代は、食べたいときに食べられますから、食べる量は少ないし、口卑しくないのです。

 二段三段弁当は必要のない時代になりました。

 

 

 時代の状況に合わせて、体が変わったのです。

 Don't worry。

 人類は、その時その時、柔軟に適応できたからこそ生き延びることができました。これからも、頭を打ちながら変化し続けることでしょう。

 でも、決して滅びない。それを神業といいます。

 

 「  能く敵に因りて変化し

  勝を取る者 之を神という

  五行に常勝無く

  四時に常位無く

  日に短長有り

  月に死生有り  」(孫子)