土曜の朝の阪大構内は、授業に急ぐ学生さんに混じって、たまのお休みをゆっくり過ごそうと思う方々の恰好の散策場になっています。
通称、中山池は水鳥が北に渡ってさびしくなってしまいましたが、六甲山を遥かに臨めるスポットとしてお勧めです。
グランドでは若者たちが声を嗄らさんばかりに溌剌とプレーしている姿がありますし、片隅では、まだユニフォームを着てない新入生たちが並んでクラブ勧誘に応じている様子が見られました。
受験勉強から解放された喜びと、これから始まる希望がグランド全体から感じられて、こっちまで胸が熱くなってしまいます。
と同時に、あのころ、自分は何をしていたのだろうと考えずにはおれなくなりました。
ひとり金縛りが解けずにいた青春の日々。誰のせいでもないことは分かっています。自分が未熟だっただけなのです。
今週、『虎に翼』で裁判シーンが出てきまして、思い出してしまったことがありました。
私が、裁判と縁をもったのは、幼稚園に入園した年でした。
その少し前に父がドアをバーンと閉めて出て行った音は今も耳の奥に残っています。
それから、家庭裁判所で調停なるものが始まりました。
母が出廷する日は、祖母が手伝いに来てくれました。着物を着込んだ母が、深刻な場に出ていくにはそぐわないほど美しく見えたのは、私が、幼かったからでしょう。
あんなことや、こんなこと。
早くから世間の裏側を見て育ったからでしょう。他人の悩みにも、さほど関心を持てない冷たい人間になりました。
それは多分、自分の経験を越えるものには思えなかったからでしょう。早い話、人がこの世で経験することを、幼少時に済ましてしまったと自負する生意気な子どもでした。
特にやりたいこともなく、抜け殻のような放浪の日々を生きてしまったのは、今から思えばもったいないことでした。
大学構内に響く若者のはじけた声を聞いて、後悔がありますか?と自分に訊ねましたが、それはない!とはっきり言い切ることができました。
今という瞬間に満足しています。
しかし、一つだけ抜け落ちているところがあるとすれば、それは「感謝」です。
今朝観たYouTube、『トヨタイムズ』に写っていた豊田学園を卒業していく学生さんの経験には感謝が溢れていました。
恵まれていることに気づかないで、自分に経験の機会がなかったと思いこんでいる一事は、そこだと思って涙したことでした。