こころあそびの記

日常に小さな感動を

ファン心理

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 マスクもいろいろ。
 ヤクルトスワローズのマスクを付けた方が来店されました。「55」が印字されたトリコロールカラーの素敵なデザインです。聞けば、村上君の大ファンだそうです。
 それまではビジネスライクだったのに、「かっこいいマスクですね」とお声かけした途端、急にお顔がパッと明るくなられたので、どれほどの入れ込みようかすぐに察せられました。これぞ誰かを応援している効果だとうれしくなりました。
 好調のタイガースファンも元気です。八連勝した翌朝、道上さんが「六甲おろし」を八番まで歌われました。もちろんお一人ではなく、電話で繋いだ視聴者の方の歌や替え歌を交えたリレー方式でした。どなたのアイデアなのでしょう。優勝が近くなったら、一日中でも放送し続けてほしいと思ったほどでした。
 スポーツに限らず、応援しているたくさんの人の元気が自分達の活躍如何にかかっていると知れば、スターの皆さんもやりがいが増すことでしょう。
 誰かを応援することは、自分を応援することになるとは不思議なことです。笑顔は体と心の循環を良くしてして幸せホルモンを放出させます。
 利他は自利なのです。
 その時に一つ大切な約束事があります。それは、自分を抜きにすることです。見返りを求めたり、してやる感が混在すると、愛は他者に上手く伝わりません。騙せたように思っても、それと見抜かれて相手をかえって不快にさせることさえあります。
 「雨ニモマケズ」はそのことをわかりやすく伝えています。宮沢賢治が今また取り上げられるのはその無欲の精神があるからだと思います。「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニイレズニ」誰かに優しくしたら、自分が穏やかになれるのです。
 その点、ファンの人は、見返りなんて求めていません。ちょっと目を合わせてもらっただけでも幸せの絶頂気分になれてしまいます。最も単純に利他と自利の関係を理解できる素晴らしい経験です。
 久しぶりに誰かを応援したくなりました。誰にしようかな?
 皆様、こんな日々だからこそ笑顔が一番ですよ。

谷雨

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 二十四節気の六番目、「穀雨」に入りました。春もいよいよこれでおしまい。今日、天はそのことを「夏日」で示しました。季節は健在であります。
 穀雨という字から分かるように、この時期の雨は田圃の苗の準備や作物の植え付けに、大切な滋潤という恵みをもたらしてくれます。
 中国では「こくう」を「谷雨」と書き表します。
 山は仙人が住むところ。谷は俗人が住むところ。
 そういう意味で、人の住む谷に流れ込んできて生活を潤してくれるのを「谷雨」としたのでしょう。
 また、老子に「谷神は死せず、これを玄牝という」とありますから、中国では古代から谷がすべてのものを生むところというふうに表現されてきたことがわかります。「谷」一字とっても中国の漢字文化の奥深さを感じます。漢字を作った民族だから当然とはいえです。
 天のめぐりは健やかなり。
 気持ちよく晴れ上がる日ばかりが続くと枯れていくし、雨ばかり続くと鬱陶しくなります。人は天の巡行に合わせて陰陽を上手くバランスしなくてはなりません。
 それを表す言葉が中庸です。
 近頃は陰陽どちらかに傾いている状況が増えているように思うことがあります。それは科学の子の特徴かもしれません。
 1+1=2が絶対正解ではないことがコロナが証明しようとしています。そんな時代に健やかに過ごすコツは、周りの人や自然に目を向けること、ただそれだけで息苦しさはうんと減るように思います。
 今朝も見つけました!
 お大師の祠の上に枝をのばしているイチョウに花が咲いていました。そして、今日21日はお大師さまの命日。小さな祠を飾り付けていらっしゃる方を見かけて、ありがとうございますと挨拶を交わせたこと。それだけで胸がいっぱいになるのは年をとったせいでしょうか。

八雲

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 「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る 
  その八重垣を」
 
 素戔嗚尊(すさのうのみこと)が奇稲田姫(くしなだひめ)を娶り新宮を建てる際の祝婚の歌とされています。誰もがこのリズムに心地よさを感じるのではないでしょうか。
 私もその一人。八雲という美しい言葉に惹かれます。
 今日は守口市八雲を歩いてみました。八雲神社を目指してスタート。
 途中、自宅の前で水撒きをされていた女性に「八雲神社はどっちですか?」と尋ねましたら、民家の間の細い道を教えてくださいました。
 心細い気持ちで歩いていましたら、左右に分岐してしまいました。どっちに進むべきかと思った瞬間、「右ですよ!」と、どこからか声が聞こえます。さっきの方がわざわざ、そっと後ろから見守って下さっていたのです。
 この親切なお心遣いのおかげで無事に八雲神社にたどり着くことができました。一瞬の袖擦るお出会いに感謝。
 先の台風で、鳥居は倒れ本殿も瓦が落ちるという甚大な被害を受けたこの神社の仮の本殿は小さなテントの中でした。因みにこの神社の神様は素戔嗚尊です。八雲という場所にまつられる縁を喜んでおいででしょうか。
 お参りをして外に出てみると、淀川の堤防がほん近くに見えました。
 東北大震災でも再認識されたように、神社がある場所は、意味ある所です。きっと、淀川の水から護るべくして鎮座して下さっているのですね。
 この町の人々の心意気で再建が完成する日には必ずもう一度お訪ねしたいと思いました。
 帰りに、八雲遺跡の立て札を見つけました。
 縄文時代の生活の跡があること。その時代は川を使った形跡はないのに、弥生時代に入ったら淀川を使って他の地域との交流が始まった跡がみられる。などと書いてありました。
 あの町もこの町も、この川沿いにある繁栄は淀川のおかげであることがわかりました。
 そんな事を考えながら堤防に上がってみましたら、陽光で川面をキラキラ輝かせながら淀川が滔々と流れています。
 私達もいつかは古代人です。長い長い流れの中の一点であることに感慨を深くしたお昼休みでした。

崩れ

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 朝の散歩。コースを決めるのではなく、その時の気持ちの赴くままにが私流です。
 昨日は雨上がりの大阪の街が見たくて、ちょっと高台まで上ってみました。
 「おはようございます」というあいさつが気楽にできる日々ではないのですが、2頭のラブラドールにブラッシングしながら元気に声をかけてくださった私と同年齢と思しき方に遭遇しました。
 朝、5時に家を出て、箕面滝まで行ってきたとおっしゃる声は、もう体が温まってすっかり目覚めておられることが推測できるものでした。
 「山道を行ってこられたのですか?」
 「いや、今日から全面通行できるようになりましたよ」
 箕面川右岸のアスファルト敷きの遊歩道は度重なる豪雨で山崩れがあちらこちらで発生して、しばらく通れなかったのです。その間は左岸の山道を通ることになっていました。
 過日、災害の後、滝道を行くと下の方に流れる川を塞ぐように大木が何本も折り重なって倒れています。自然の力はこんな小さな谷にもその大きさを見せつけています。
 それを眺めながら、人が使い勝手の良いように谷を開いたことも原因の一端かもしれないけれど、倒れるべくして倒れて自然はまた復活していくのではないかと近頃は思うようになりました。
 昔、曽野綾子さんと同じくらい幸田文さんが好きでした。父、幸田露伴に厳しく育てられたという彼女は、雑巾の絞り方や掃除の仕方を細々と注意される姿を文章に記されています。母が厳しかった私は彼女に共感する部分がたくさんありました。
 その幸田文さんが、晩年「崩れ」というものに興味をもたれて、各地の自然に崩れる山を訪れておられます。
 その頃の私にはまだその意味がわかりませんでした。でも、今ならわかるような気がします。そう思うと、もう一度読み返してみたくなってアマゾンで1円の古本を買いました。
 ご報告はまた後日。

朝明(あさけ)

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 中国の歴史ドラマにはまっています。
 今見ているのは『独孤伽羅』です。
 伽羅は、事実はもっとたくさんの兄弟姉妹がいたようですが、ドラマの中では三人娘の末っ子としてキャピキャピした可愛らしい女の子に描かれています。
 中国ドラマは長いところが魅力なんだけれど、そこに難があります。次から次に見ないと終わらないのです。家に帰って見始めたら寝るまで消せないのです。困ったことです。
 そういいながら、結婚に際して好きな人をとるか、お家を守るために皇族に嫁ぐかというような話題をうまく練り込んであると、展開が楽しみでつい見てしまいます。
 自分は、元来、そういうややこしい嘘の応酬ができる質を持ち合わせていないのに惹かれるのは、枯れた心に生気を取り戻す心のマッサージ薬としての効能のせいでしょう。
 このドラマの時代は北周。六世紀中頃です。
 日本ではその百年後に壬辰の乱(大化改新)が起こっています。
 天智天皇遣唐使を遣わして、唐風を学ぼうとされたようですが、民心を治めきれず大海人皇子に取って代わられる。そこに登場するのが額田王という女性です。
 中国に倣ったわけでもないでしょうに、同じようなドラマがここでも繰り返されました。
 人が生きるところに愛憎はつきもの。人生はままならないことと同感しながら、今夜もきっと見てしまうことでしょう。
 ちなみに、大海人皇子が吉野から伊勢まで敗走してきて、夜明けに朝明(あさけ)迹太川(とおがわ)のほとりで伊勢神宮にいらっしゃる天照大神を遥拝してから、戦況が好転したといわれています。
 夜明けに東から上る太陽を見た瞬間、人は思わず手を合わしてしまいます。そうすれば、体に気が満ちてくることを知っているからだと思います。
 これからは日の出が早くなります。早起きが健康の鍵となる季節です。

冷たい春風

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 ポストに自分宛の郵便物が届いていると嬉しいものです。それが知り合いからなら中身への期待が倍増します。
 昨日、郵便物の中に私宛のお手紙を一通見つけました。逸る気持ちを抑えて、家の中に入って開封しましたら、その文面は直ぐには信じられないものでした。
 でも、文字が踊ったり、行をはみ出したりしているところから、信じざるを得ません。
 お手紙の主は先月、脳梗塞を起こして二週間の入院を余儀なくされていたと報告されていました。
 彼女は七十代とはいえ八十歳に近い年齢でありながら老人施設でヘルパーとして働いておられます。確か、三年ほど前に自ら応募して採用が決まったとおっしゃった時には大丈夫?と訝ったものです。
 しかしながら、その気持ちは、病後もいささかも変わりないことを以下の文面に認めておられます。
 「元気にしておりますが、膝痛のため歩行が思うようにできず会社への復帰も体の状態を見極めて検討していただくことになっております。人が足らず、何でも、少しでも、お役に立てればと思ってますが、さて、どんなものでしょうか。 追伸 3月4月の冷たい風は毒でした」
 大きなご病気の直後とは思えない彼女の強い精神力に驚きました。文字とは裏腹に、文脈はショックで沈みそうな私の心を励ますほどにしっかり書かれていました。
 彼女は私たちの漢方セミナーに開始当初から皆勤で参加くださっている大切なメンバーのお一人です。”くらしの中の漢方養生“と銘打ってお話し会をしてきただけに、このお知らせは辛すぎます。
 人は与えられるのですね。何をいつ与えられるのかはわからない。この年までいくつも波を越えてきて、そんなこともたくさん見てきたけれど、それでも、何故という思いはそう簡単には消えません。
 病気を越えて、まだ生かされるなら、そのいのちを他者に役立てたいというお気持ちを尊敬いたします。生かされる限り、こんな利他精神を持ち続けたい。自分もそう覚悟しなくてはと思いました。
 “3月4月の冷たい風は毒でした”という追伸はグサッと刺さります。口を酸っぱくしてお伝えしていたはずなのに、この毒に侵されてしまわれました。私達は自然に対してなんと無力なことでしょう。
 どうか皆様、くれぐれも養生に努めてお健やかにお過ごしください。

ワクワク!

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 「人間は大自然の一員である」ということをどうにかして伝えたいと常々思っています。
 アメリカで見た地平線からの日の出でなくてもいいんです。山に囲まれた盆地で、朝、山から昇った太陽が天空をめぐり夕方には西の空に沈んでいく。それを感激して見られる人は幸せです。
 私たちが太陽のめぐりに合わせて生きていることをご自身の体が知っているからです。
 誰でも、立ち止まらざるを得なくなる時があります。そんなとき、ちょっと思い出して欲しい。自分が自然の一員と気付いてほしい。
 花々でも、樹木でも、小鳥たちでも、空の様子でも、働きかけているものは溢れています。あなたと共鳴できる何かがきっと待っています。
 それに気づいてくだされば、何かが変わると信じていますが、生来、健康に恵まれている自分では説得力がありません。
 ところが、今朝、凄い人がラジオでお話しされていました。
 今年度の植村直己冒険賞を受賞された「稲葉香」さんです。思わず、車を路肩に停めて聞きほれました。
 難病のリウマチを18歳で発病されたにも関わらず、自分の可能性を存分に発揮してチベットに魅せられておられる姿に、久しぶりに興奮を覚えました。
 チベットに行っている間は痛みを忘れるという彼女のお話しは、大切な示唆をもっています。
 パーソナリティの道上洋三さんも、冒険話(はもちろんのこと)よりも病気のところが気になったようでした。
「そこを研究すれば、ノーベル賞ですよ」と彼女に言い渡されたほどでした。
 自然の中に解き放すことが精神を和らげることは、西健康法など昔から実践されてきました。
 稲葉さんの場合もまずは自然のリズムを取り戻して過ごしたこと。心が何が何でもやりたいと思うことを実行している自分にワクワクしていることが効を奏したのでしょう。
 私たちの心と体はなんと強く結びついていることかと認識を深めたことです。
 今日、来られた患者さん情報では、一週間で二時間半以上運動している人はコロナが重症化しにくいと英国の学会が発表しているとのことです。
 体を生き生き動かすことが、心を健やかに保てる方法です。反対に、心が縛られてなければ体は動き出したくなるものです。
 こんな時だから、きびきびと動きましょう。心軽やかに過ごしましょう。