こころあそびの記

日常に小さな感動を

時刻表遊び

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 無風、湿度は100%、空はどんより灰色の雲に覆い尽くされている。こんな日は体も心も重たくなってしまいます。
 そこで、時刻表遊びをしてみることにしました。
 ついこの間まで、時刻表は隠れたベストセラーでした。それが、スマホで簡単に検索できるようになって、必携本ではなくなってしまいました。
 出発駅、到着駅、日付、時刻を入力すれば、直ちに答を出してくれるアプリは便利この上ないのですが、何かが足りない。
 確かに日常の移動には頼りになります。でも、足りないものがある。
 それは、場所を想像させる地図です。
 昔はよく時刻表で遊びました。表紙をめくると、特集の色刷りページに続いて、全国の路線地図が載っていました。全ての駅名を入れようとするから、地図は歪んでいました。
 その駅名を辿ることが楽しみで、暇にあかせて全国行脚したものです。確かに、その時代には時刻表は立派な読み物だったのです。
 
 
 さて、今、どこでも行きたいところに行っていいよと言われたら・・どこにしようかな。
 思い出したのは、ずっと前に新聞に載っていた「特急はまかぜ」でした。
 劇作家の平田オリザさんが、大阪から西に向かって走った列車が、姫路で停車したあと、最後尾車両が反対方向に引っ張り出すこと。そして、播但線の夢前川、円山川添いの景色の美しいことを書いておられました。
 特別の用がなくても、ふと乗り込んでその景色を見ているだけで気持ちがいい路線であると記されていました。
 あまりに素敵なエッセイで、私も乗ってみたいと、しばらくその切り抜きを大切にしていましたのに、なくしてしまったことは残念です。
 播磨と但馬を結ぶ播但線
 こんな時期だから、乗車客は日に幾人ほどでしょう。
 自由に動ける日が来たら、一番に乗りに行きたく思います。
 そして、大きな駅じゃなくて、昔の駅舎と柵もないプラットホームがあるだけの駅があったら、降りてみたいです。
 次にいつ電車が来るか分からないような、静まり返った駅で地元の人の会話が聞こえてくるようならもっといいですね。
 もっともっと時間が許されるなら、もちろん鈍行です。一駅一駅、乗り換えながら行きたいです。
 
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 汽車の発明は人間にどれほどの恩恵を施してきたことでしょう。
 しかし、ただただ移動手段として使う時代は終わったことを、コロナが証明してしまいました。
 プラスアルファは何を描けばよいのでしょう。
 乗り鉄のおばあさんが言うのも憚られますが、車窓から見える景色が好きです。子供みたいに飽きずに見てみたい。窓の外を見ているようで、いつの間にか、心の旅に迷い込む時間を体験できるのも醍醐味です。
 銀河鉄道に倣って、心の旅ができる電車。やっぱり、宮沢賢治は未来が見えていたのですね。

心しなやかに

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 待ちに待ったコロナのワクチンがやっと接種できたというのに、浮かないお顔の老女。
 「打ち終わったら、ドキドキ動悸が始まって・・」と、訴えられました。
 「私が悪いんです。小さい時からそうなんです。弱いんです。」
 お父様が戦死されたあと、母一人、子一人で生きるには厳しいことも多々あったことでしょう。まして、その子どもが少しでも他の子より弱いと思ったなら、庇うことばかりを優先してしまうお母様のお気持ちもよくわかります。
 母親とは悲しいものです。こんなに弱いのは自分のせいではないかと、自分を責めてしまうのも母性のゆえです。
 「母からいつも、あんたは弱い、弱いといわれ続けまして、こんなになってしまいました」とおっしゃる表情も儚げで、お声も震えている感じがありました。
 
 人は不思議な生き物です。
 あんたは弱いと言われれば、そうかなと思い込んで、成長してもその思いが断ち切れません。
 反対に、あんたはきれいねと言われた女の子は、美しく育つし、君の手は器用やねと褒められた経験があれば、それが自分の強みになることだってあります。
 
 人を育てるとは本当に難しいことです。
 先の老女のご家庭のように、お母様にとっては子供を庇うことが、ある意味自分の生きる縁としている部分もおありだったと推測します。
 成長過程で、その庇護を突き破ることは彼女にはできなかったようです。それほどに母の言葉は重いものです。

 
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 毎月楽しみにしている、NHK「テレビで中国語」の加藤徹先生のエッセイに「動いているのは、風でも幡でもない。あなたの心です」とありました。
 
 人は周りに見えるもの、聞こえてくるものに心を奪われがちです。自分のアンテナに飛び込んでくるから仕方ありません。
 でも、それらに疲れてどうしようもなくなったら、悪いですけど、ごめんなさいして目を閉じ、耳を塞いでしまう勇気も必要です。
 その静かになった心に映るものは何ですか。自分自身ではないですか。本来の自分と向き合うことで、自分を取り返すという作業を優先してもバチは当たらないと思います。
 
 巷に溢れる情報や他人のアドバイスは、風であり幡です。自分がどうしたいかは、心の奥深く眠ったふりをしている自分が知っています。
 
 ワクチンがどうかとか、オリンピックがどうなるかとかは元気な人に任せて、あぁ自分がヤバイなと思ったら、全部シャットアウトしても許されます。
 一人だけ他人と歩調が違うからと責められることはありません。
 それが新しい社会のありよう、「誰一人見捨てない社会の構築」に通じているから大丈夫です。もっと、肩の力を抜いて気楽にいきましょう。
 弱くではなく、しなやかに。

夏越しの祓い

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 疫病蔓延の今年だから欠かせない行事とするか、三密を避けるために中止とするか。神社も迷われたことでしょう。
 近くの氏神様は「茅の輪くぐり」の輪っかを設えてくださっていました。暑い中、こんな年だからか、参詣者が途切れることはない様子でした。
 
 今年上半期の穢れを祓う「夏越しの大祓い」。
 あとの半年の無病息災と招福も祈ります。

 茅の輪の横に「茅の輪を作った残りの茅です 良かったら持ち帰って小さな茅の輪を作ってください」と書いてありました。
 男性でもお上手にその場で作っておられたので、真似してみました。下手くそでも神様に通じたらと。

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 茅葺き屋根として利用されてきた茅はススキの仲間たちです。ススキの茎はちょっとやそっとの力では折れません。山道でススキを見つけたので、折ろうとしたことことがありましたが、持ち帰ることはできませんでした。
 油分を含み雨をはじく強い草だから、有用植物というのですね。漢字の「茅」も“草冠の下に武器”というなかなか厳めしい字です。
 
 その茅を輪っかにするというところが”ミソ“らしいです。
 水は球形であるときに一番安定するといいます。
 茅の輪の輪っかはどんな意味があると思われますか?
それは、ちょっと怖いけれど、悪鬼を縛り上げるということらしいです。お正月のお飾りも、その意味は同じです。
 邪鬼を追い払って、無病息災を祈りましょう。

 輪っかは「蘇民将来蘇民将来・・」と唱えて回りまます。
 「将来」という言葉の意味を、初めて知ったとき、なるほどと思ったことがありました。
 普通は、将来とは未来を指すと考えます。
 しかし、将来とは「持ってくる」という意味だそうです。
 私たちは、自分で未来を持ってくるのです。
 未来は作ることができることを、昨日も、『WE HAVE A DREAM』の若者の言葉から読み取ることができました。
 南太平洋に浮かぶバヌアツという国のファンシー・マーサ・ブラウンさんは、「土地は命」という言葉を掲げて、今の環境を守る活動をされています。
 将来はどうなるんかなぁではなくて、こうしたいという強い意志が未来をきっと変える。そして、今考え得る最高の未来を若い人たちが作ろうと努力していることが希望です。
 すばらしい未来は将来されるのです。
 一人一人が良い明日を思い描いたら、それがたとえ心の中で念じているだけであっても、描いた未来が実現すると信じましょう。

『WE HAVE A DREAM』

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 先日、テレビで紹介された『WE HAVE A DREAM』という一冊を入手しました。この装丁が、一目で気に入ったからです。
 まず、帯の「Z世代」「ミレニアル世代」からして分かりません。
 「ミレニアル世代」は1981年から1995年生まれの世代とのことで、「Z世代」とは1990年代後半から2012年に生まれた世代。2013年以降生まれは「α(アルファ)世代」というそうです。
 世の中の変遷を説明するためには、こういう新しい言葉が必要なのですね。

 この本は201カ国202人の夢を集めて制作されました。
 混じりけのない純粋な夢に向かっているドリーマーたちは、どなたもなんと美しいお顔をされていることでしょう。また、皆さんの民族衣装のカラフルな彩色も楽しみながら1ページずつ丹念に読ませていただいています。

 巻末のアジアから読み始めました。
 距離的には近くにあり、文化も分け合った国々ですが、いまだに紛争が続く国の多いこと。その中に生まれても「夢」を失わず、否、その環境に生まれたからこその「夢」を力強く宣誓されていることに、頭が下がったり感服したりの連続です。

 中国文化は遠く中近東からの流れを組んでいることは証明されています。本の中で、バーレーンのファテマ・フセインさんの言葉にその核心部分を見つけました。

 「人間の幸福は地球の幸福と深く結びつき、切り離せないものです。自然から離れて自分本位に生きることは内なる平和を失うことに直結しています」

 中医学での養生法のエッセンスはここにあります。「人間は大自然の一員である」。忘れてはならない戒めです。
 
 そして、「自然のもとに帰ることが、私たちへの治療になるのです」と続きます。
 すべてのこの世に生まれた人間は、太古から現代を越えて、きっと同じ思いを将来にわたって持ち続けることでしょう。それが、「平和」と「健康」への確実な道筋だからです。
 なのに、紛争が絶えないのは、なぜでしょう。
 彼女はこう続けています。
 「平和な世界を作るには私たち自身が可能な限り良い人間になることから始まる」と。
 これも中国古代思想家、孟子性善説に共通するところです。

 世界じゅうの人々が自分の中の善性に目覚めたなら、きっと世界平和が実現されるはずです。アルファ世代がそういう世界に生きてくれることを願っています。


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 まだ、アジアしか読んでいませんが、1ページめくるたびに鼓動が早くなるのを感じます。
 
 私の夢を後押ししてくれる言葉がありました!

 トルクメニスタンのクリスティーナ・オルロバさんの

「忘れないでください。私たちは親たちから地球を受け継いでいるのではなく、子どもたちから地球を“借りている”ということを」とありました。

 私は、「子ども食堂」をしてみたいとかねてより思っています。
 公民館とかではなく、空き家を利用して、両親が働いている家庭の子ども達が下校できる場所を作ってやりたいです。「ただいま!」「お帰り!」が言える場所。
 そこには大学生のお兄ちゃんお姉ちゃんが居て、宿題だってみてくれるとしたら・・・
 と、私の妄想は宝くじ当選にかかっている、本当の夢です。
 平和な世の中の担い手を育てるために、ささやかなお手伝いがしたいと思っています。

鳥類調査中

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 朝、県外ナンバーの車が、リアガラスに「鳥類調査中」の黄色い札を掲示して停車しているのを見つけました。
 辺りを見回しても、それらしき方がおられません。がっかりして、いつもの畦道を進んでいきましたら、望遠鏡を覗いている人影がありました。やったぁ!
 「野鳥の調査ですか?」
 「はい、北陸新幹線の事前調査です」
 「そうなんですね(笑)」
 実は私は曾祖父の代からの鉄道マン家系を自負しています。国鉄からJRに社名が変更されるだけで、曾祖父の思いが消えてしまいそうで悲しくて気持ちの上で抵抗したことも遠くなりました。
 経済が停滞し、乗客が激減しているこの時期であっても、次なるプロジェクトが進行していることに大きな希望を感じます。こんな困難の中でも、前に進もうという気迫が、すべての人への励ましです。
 曾祖父が国鉄マンであった明治時代には、中央線を敷き終わりつつあったようで、最後の任地は磐越西線だったと聞いています。
 阿賀野川沿いに走るための技術やトンネルを通す工法を一から西洋人に習って敷いたと聞いています。その時代の人が原野に線路を敷いてくれたから、今、私たちは便利に使わせてもらっています。
 渋沢栄一もしかり。明治の人の汗がたった百年前のことだと考えるとき、その汗のお陰をいただくばかりでは恥ずかしい思いがします。
 1年が今までの10年のスピードで変わるよといわれて久しくなりました。今や、10年が100年に匹敵するほど高速で変化しようとしています。
 そして、百年前の強引な工事は許されなくなりました。  
 人間が自然と共生できるようにSDGsという目標を世界で共有するようになって、人にも、自然にも優しい進歩が当たり前になりました。
 その一環で線路を敷く前に鳥の調査をしてくださっていたのですね。倍率30倍の望遠鏡で観察されていた調査員の方の優しくて穏やかな笑顔が印象的でした。
 明治の人が残してくださった遺産を、今考えられる叡智を結集して次世代にバトンを繋げられたらと切に願います。

「夏への扉~キミのいる未来へ~」

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 山﨑 賢人さんといえば、初めて見たのは、TVドラマ「陸王」での寡黙な少年でした。
 次に見たのはあの「キングダム」での活躍でした。
 そして、その少し憂いを含んだ笑顔が見たくて、今日は一昨日公開の「夏への扉~キミがいる未来へ~」を観てきました。
 SFはどうも・・という苦手意識を吹っ切って、朝の映画館に入りました。
 なんと、冒頭にホーキンス博士の言葉が映し出されましたので、SF映画に身構えていた気持ちが少し緩んだように思いました。
 博士は私にとっては親しい方だからです。私の息子が病に倒れたとき、恩師からホーキンス博士が表紙の「Newton」をお見舞いにいただいたことがありました。“病に負けないで”というメッセージをありがたく受け取ったことは今も私の宝物の一つとして心に残っています。
 宇宙を含めたこの世界の謎を解こうとされた科学者である博士は、過去へのタイムトラベルは因果律に反するから出来ない、とおっしゃっています。
 「夏への扉」はそこにあえて挑戦するお話でした。
 原作者、ロバート・A・ハイラインはこの作品を1956年に書いています。その作品を現代に書き直して映画化されたものです。
 小説が生まれた頃にはなかった、凍結保存を駆使して、タイムパラドックスを克服しているように見えました。
 彼女が彼女でなくなってしまう二十年を、どうするのだろうと、ドキドキハラハラ。一番の見せ場は恋の成就ですから、そこで出来不出来は決まります。
 あとは見てのお楽しみに。
 それにしても、役者魂とは凄いものですね。 
 山﨑 賢人さんの表情の繊細さに引き込まれますし、なんといっても今回は藤木直人さんのロボット役の好演に目を見張りました。役者さんだったのですね。

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 昨日、今日と心に刺激を受けて、ふと自分が久しぶりに解き放たれている感覚になっていることに気づきました。
 散歩と中国ドラマとお料理だけの毎日。心が固くならないように注意しているつもりでも、何かが足りなかったのです。
 それは、他者からの刺激です。
 独りで生きているようでも、日々、他者から貰う何かが私を健やかに保ってくれています。
 薬局に来て、長々とお話していくご老人。
 「こんなところで愚痴こぼしてもしゃあないのに・・誰とも会わないからね(笑)」
 出かけたついでに、お店の店員さんと交わす無駄話が健康の秘訣だなんて、昔の丁稚どんならご主人様にしかられたでしょうにね。
 それが、コロナ禍を生き抜く知恵です。元気出して行こう!

さくらんぼコンサート

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 日本にいくつ交響楽団があるのかご存知ですか?
 大阪には、故・朝比奈隆さんが率いられた大フィルをはじめ、存続の危機を乗り越えて意外に多くのプロ楽団があります。
 しかし、その経営状態は厳しいものと聞きます。地方都市なら尚更のこと。偏に、楽団の存続は県民の皆様の民意の高さを表すものでありましょう。
 山形交響楽団さくらんぼコンサート」が本日、ザ・シンホォニーホールで開催されました。
 久しぶりに、オーケストラの奏でる音に浸りました。
 『モーツァルト交響曲第38番ニ長調プラハ」K.504』で始まった演奏を聴きながら、この演奏者達は、毎日、どんな景色の中で練習されているのかしらと想像しました。
 さくらんぼ畑?田植えを終えたばかりの棚田?
 山寺では今年も蝉が鳴き始めているのかな?
 「閑けさや岩に染み入る蝉の声」。
 数年前の真夏に上った立石寺から見下ろした山形の町を思い浮かべて聴かせていただきました。

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 二曲目です。いよいよ、登場されました。
 今日の主役、舘野泉さんです。
 今年85歳になられる”左手のピアニスト“です。
 ピアノの側まで車椅子を押してもらって出てこられました。
 『ブリテン、左手のピアノと管弦楽のための主題と変奏「ディヴァージョンズ」作品21』
これは、第一次世界大戦で右腕を失ったパウルヴィトゲンシュタインが多くの音楽家に左手だけで弾けるピアノ曲を委嘱したことで、出来た曲の中の一つだそうです。
 右足でペダルを踏んでおられました。
 左手はオーケストラに負けない力強さがありました。
 お顔はどこまでも美しくて、拝顔できた喜びで胸がいっぱいになりました。
 拍手は鳴り止まず、何回も何回も、舞台に帰ってきて下さいました。
 アンコール曲は「カッチーニ作曲、アヴェマリア」でした。
 涙が滲みました。どれだけの山を越えて越えてここまでこられたのでしょう。それとも、初めから磨き上げられた魂でお生まれになったのでしょうか。
 席を立つとき、隣のお二人の会話が聞こえてきました。
 「いい演奏会に誘ってくださってありがとうございます。心が洗われました」と。
 舘野泉さんの清い魂が、参加者全員の心を清めてくださったと思いました。
 舘野泉さんご本人に拍手が送れたことに感動しています。ありがとうございました。