こころあそびの記

日常に小さな感動を

誰ぞ彼の時

 

 山の向こうに夕陽が落ちる瞬間まで待てるのは心に余裕のある時です。

 快晴の夕焼け空も文句なしの美しさですが、薄雲があるのもまたよしです。一つ一つの波が作る光模様に魅せられる時刻です。

 

 

 この感動をと、孫に情景をラインで送ったら、「かたわれ時か~」と返信してきました。 

 なんか違うやん。と思うものの、へんに訂正して、もしも間違えを教えたら・・と老婆心を起こすのは年寄りの常です。

 薄暮、薄明の人の顔を見分け難い時間帯に、「彼は誰」で”かはたれ?“。「誰ぞ彼」で”たそがれ(黄昏)“という。

 ネットでちゃんと調べてから、返信したことです。

 

 

 近年、ネットで検索する回数をAIが読み取って、興味のあるものと思しき情報を送ってくる時代になりました。

 私には、近頃、『源氏物語』関係のものがやけに多くなりました。

 言い訳にはなりませんが、若いときに勉強しておかなかったので、どれもチンプンカンプンで頭に蓄積されないこと、お恥ずかしいかぎりです。

 

 源氏物語に、「たそがれ」は何カ所も登場するのでしょうが、その中の一つが「夕顔」に見られると、ネットが送ってきました。

 

 心あてにそれかとぞ見る白露の

 光そへたる夕顔の花

 

と、贈られた光源氏が返した歌が、

 

 寄りてこそそれかとも見め

 たそがれにほのぼのと見つる

 夕顔の花

 

 ひょっとして頭中将さまかと、夕顔が扇に乗せて贈った歌に、もっと近づいてはっきりとご覧になればと光源氏

 王朝人の黄昏の過ごし方に余裕が感じられるのは、平安貴族の博学の現れでありましょう。

 紫式部に対して、一条天皇が「日本史を講義しては」と言ったということですから、押して知るべしというところです。

 

 

 ところで、日曜日のお昼のNHK番組といえば、『のど自慢』です。

 世知辛いと云われる世の中になっても、ずっと同じスタイルで続いている長寿番組です。それは、日本の誇りといえば大袈裟かもしれませんが、まさに、平和な日本の象徴です。

 今日は佐賀県鹿島市からのライブ放送でした。

 出演者のお一人に車椅子で登場された72歳の女性がおられました。

 くも膜下出血と心臓病を乗り越えての出演です。

 歌の最後に、コメントを求められて、お子さんたちに「毎月、仕送りありがとう」と、大きな声で叫ばれました。

 紫色のワンピースに大玉のネックレス。歌った歌は「六本木心中(アンルイス)」でした。私と同世代の方が、こんなにお元気いっぱいで、しかも愛されて過ごしておられる。

 そのことに、今日一番の感動がありました。

 そのどこが?

 それは、愛され上手に過ごしておられる点です。

 人は、愛することに情熱を燃やすほうが、愛されることより意味があるように思うところがあります。

 でも、高齢になれば、のど自慢の彼女のように、「してくれてありがとう」という素直な心が愛される条件です。

 昨晩は、久しぶりに孫ファミリーと外食しました。帰ってきて、孫から「今日はありがとう」と言われ、照れた私は「もう充分にはしてあげられなくてごめんね。早く逝かんとね」と返してしまいました。

 そうしたら、「長生きしてや。これからは、僕が返す番やから」と言うではありませんか。早々に自室に駆け込んだのは言うまでもありません。

 そういう言葉に、ありがとうって素直な返答ができる境地になるまで、まだしばらく時間がかかりそう。ということは、憎まれ婆さん世に蔓延るってことですね。