こころあそびの記

日常に小さな感動を

スイーツの甘味じゃないよ

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 先週のことでしたか、「おはようパーナリティー道上洋三」の番組の中でこんな話をされていました。
 道上洋三さんは健康に強い関心をお持ちのようで、
 「薬膳では、夏は黄色い野菜を食べるといいといわれます」続けて「カボチャにトウモロコシ。サツマイモもいいようです」
 そこまで来て、アシスタントのいがらしあゆみさんが、「えっ?薬膳って?」と間に入ったのですが、時間枠が決まっているのか道上さんは先を急がれてしまいました。
 そこ!とても大切なんだけどなぁ、と残念に思いましたので、失礼千万を承知の上で、少し付け足させていただけたらと・・


 アシスタントの方が言いたかった、あるいは、説明を求められたのは、「ええっ?野菜が薬膳なの?」ということだったと思います。
 「医食同源」という言葉があります。
 古代、神農さんという神様がおられました。(大阪では薬の町、道修町に少名彦神と一緒に祀られておいでです)  
 一日に七十の毒に出会って、それを解毒しながら、百草を嘗めたといわれます。そして神農本草経にまとめてあるのをみれば、それは毎日食べて大丈夫なもの(下品)、少し薬効のあるもの(中品)、大いに効用のあるもの(上品)と分けてありますが、薬と食品の区別はありません。大根だって人参だって入っています。
 薬膳が流行です。杏仁豆腐にクコの実が乗っているだけで薬膳という思い違いはないですか?
 本当はその杏仁が本物かどうかを見極めるべきですが、それはちょっと上級コースです。
 大切なことは、生薬が入っているから薬膳ではなくて、今日の体の状態に合わせて召し上がるのが薬膳だということです。
 熱が溜まっている日は冷やすものを、体が冷えていたら温める食品を選べば立派な薬膳料理です。

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 次に、道上さんが「黄色」といわれた意味を考えてみましょう。

 五行色体表を見れば、夏は「心」の旺盛になる季節です。「心」は黄色ではありません。真っ赤に燃える太陽の季節ですから、「朱(赤)」です。
 「春夏養陽(春夏は陽を養う)」という養生の原則があります。体を活発に動かす季節です。活動するには、心臓を酷使します。そのとき、燃えた「心」を養う味は苦味です。
 苦味は熱を冷まし余分な水を捌いてくれます。だから、沖縄の人は苦瓜ゴーヤを召し上がるのです。キュウリだってナスだって夏の野菜は苦味があるから、からだに溜まった熱を冷ます働きを持っています。
 余談ですが、注意しなくてはならないことがあります。それは、消費者が苦味をよしとせず改良が進んで、甘いものが増えています。とくにスイカは近年、ぐんぐん甘くなっていますから、糖尿病の方は気をつける必要があるほどです。

 じゃあ、道上さんがおっしゃった「黄色い食べ物」とはなんのことでしょう。
 「心」を養うのは苦味なのですが、夏の活動を支える味は「甘味」なのです。まさに、カボチャもトウモロコシも甘味の代表です。
 同じように五行色体表を見れば、「黄色」は脾胃、大地の色に分類されています。食べたものを消化吸収するところ。ここの良し悪しが元気の量を決めるといっても過言ではありません。
 消化力の弱い子供に”小建中湯“という漢方薬を使うことがあります。この漢方薬麦芽糖の甘味でできています。甘味は脾胃を養う味だからです。
 活動の季節だから「甘味」というエネルギーを摂るのです。


 自粛といわれて、じっと閉じこもっておられませんか。
 季節は太陽照りつける盛夏ただ中です。じっとしていたら身体にその熱が溜まります。溜まった熱をそのままにしていると、秋口にヘルペスや呼吸器の変調として出てきます。
 今できることを、今しておきましょう。
 それは、動いて熱を発散させておくことです。
 早朝の散歩が一番のおすすめです。家から外に出て、朝の新鮮な大気の中で深呼吸しながら歩いてください。
 自分のいのちは自分で守りましょう。

「気」で守ろう!

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 西洋医学の開祖に近いアリストテレスの時代には医学者は哲学者であったのに、近代に入って、科学の発達と共にこの2つが乖離していったということです。科学はデータ処理技術を生み出し、それが優先される世界です。生きた人間が次第に置いてきぼりになってしまいました。
 今、医学が「半商半医」をはじめ、いろいろな問題を抱え始めているのは、そこに問題があるといえます。
 その点では、訳の分からない中医学の世界では、数字ではなくて、体の状態を観察することに重きをおいていますから、中哲学が生きています。中哲学を知らないでは漢方薬は扱えないのが本流です。
 「漢方をやるなら、中哲学をやらないとだめだよ」
 確かに合点がいくのですが、実際に漢方薬を取り扱っている人に中哲学が浸透しているかは疑問です。
 科学と流通が発達しすぎました。人の生活は先を急ぐことばかりを優先するようになっています。だから、時流として、そこは西洋医学と同じ難しさを抱えています。

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 過日、太閤園で開催された「デヴィ夫人の講演会」で聴いたお話によると、辞書に載っているだけで、“気”の付く言葉は二百以上あるそうです。
 なのに日常的に「気」を気にすることはあまりないのではないでしょうか。
 中医学で「気」はどこで作られて、どういうふうに流れて体を守るとされているのでしょう。
 
 肺で天から清気を取り入れた肺気と、脾で取り入れた水穀の精微物質で「宗気」を作ります。
 その宗気が身体全体に巡ります。
 衛気となって体の表面を敵の侵入から守るもの(体表の防衛)。経絡に流れて循環を良くするもの。五臓で各臓器の働きを助けるもの。血流に乗って営気となり、体温保持など多彩な働きをします。
 このように体全体に行き渡るのが「気」です。
 「気」が身体を守っているなどと想像すらしない方もおありでしょう。しかし、これらのどこかに弱点があればそれが病気の症状として現れるわけですから、「気」は身体を守る砦であることは確かなのです。
 気持ちが高揚するときと、意気消沈したときとでは体の状態は変わることは誰もが経験することです。
 今、皆を脅かすコロナ。肺を犯すとされますが、肺は宗気を作る源です。肺が健全でなければコロナに打ち勝つことができません。
 天からの清気を胸いっぱいに吸いたいのに、マスク生活を余儀なくされるとは、なんということでしょう。
 これからの猛暑を乗り切るために、大切なことは水の補給と併せて、深呼吸です。人混みを避けて、マスクを外し、しっかり呼吸することを忘れないで過ごしましょう。

あなたがいてくれてよかった!

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 朝、起きてきた私を申しわけなさそうに待っているラヴ。「また、やっちゃったの!」と粗相の片付けをして、一緒に庭に出ます。一目散に家庭菜園に走って行って、囲いの外で「早く早く」とせがむのはミニトマトです。
 「ウーン、残念。今日はないわ」。昨日、娘が真っ赤に熟れたものを収穫してしまったことを思い出しました。
 家に入って、私のいたずらが始まります。
 「待て!」と柵の上にそっとミニトマトを一粒載せます。ラヴは待ちきれずに、食べようとしますが、悲しいかなパグ犬のラヴの口では上手に掴めずポロンと柵の外に落ちてしまいます。視線はトマトから外さずに「あーぁ、あそこに!」という表情でトマトを凝視しているラヴがかわいくて、何回も何回も繰り返して遊びます。
 こうして、今日も楽しく一日が始まります。

 いつも傍にいてくれた犬たち。
 家出していったスピッツのベリー。
 赤い首輪のお嬢様はワイヤーヘアードフォックステリヤのアン。
 台風の洪水で犬小屋の上で震えていたコッカスパーニエルのコロ。
 賢くて性格の良いボクサーのゴン。
 アホで気のいいボクサーのゴロシャン。
 ボクサーが二代続いたのはゴンが賢かったからかな。唯一、庭に眠る犬です。
 子ども達の相手をしてくれたのは、二匹の雑種。
 そして、今、ラヴが私のそばにいてくれます。

 どの子も賢くて人の気持ちをよく理解しました。
 悩み多かった思春期、ボール投げして遊んだあと、私の横にお尻をくっつけて座ってくれたゴン。心のモヤモヤをあなたは知ってくれていたんだね。
 辛いときには、犬という友達が傍に居てくれるだけで癒されます。
 そして、散歩行くよ!といえば、目の色変えて喜んでどこまでも付いてきてくれます。

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 自粛生活が長くなり、ペットの需要が高まっていると聞きます。
 同僚が鳥を飼い始めたと言うのには驚きました。
「気持ち通じるの?」
「分かってるみたいです。廊下を歩くと付いてきますから」。
 ですよね。失礼しました。
 すべての植物も動物も仲間です。目に見えない波動でつながりあえるペットたち。あなたがいるから今日も元気に過ごせます。ありがとう。

色に感じて

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 かわいい!と目が止まったのは昼顔でした。夏の花はどれも太陽に負けない強い色なのに、なんと優しげな佇まいなのでしょう。
 見つけたのは空き地。その地面に這うようにパラパラ咲く様子にキュンとなりました。
 
 先の梅雨に咲く花は白い色でした。泰山木もクチナシドクダミも。白はどんよりした空気の中でも、しっかり存在を際立たせることが出来る色です。
 
 季節のイメージに合わせ、見る者の気持ちまで考えて彩色することは、能力を越えた力です。自然の造形には驚かされることばかりです。
 毎日出会う小さな自然に気を止めることが、生きる喜びを深くする事に繋がるように思います。自然を愛でる力のある人は生きる力がある人といえるのではないでしょうか。


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 そして、夏本番になりました。夏を謳歌する力強い向日葵の強烈な黄色。最高の暖色をもって暑さを盛り上げます。
 畑の隅っこに向日葵が一畝植えられていました。お世話なさっていた方に伺ったところ、どこかに出荷するのではなく、季節を感じるために咲かせているとお応えになりました。通りすがりの人達にも見てほしいと。
 そんな優しい心を知ってか知らずか、どの花もみんなお日様の方に顔を向けています。個性的な色からすれば、もっと自由で良いのに、お日様向け!という号令に素直に従う可愛らしさゆえに愛される夏の代表花です。
 
 しかし、あまりに元気すぎるパワーは、悲しみも併せ持つものです。夏という陽気が最高潮に達すれば、陰気が忍び寄って、やがて陰が勝って秋に向かいます。
 映画「ひまわり」のラストシーンに使われた向日葵も圧倒的なパワーなのに切なさを感じさせます。テーマの悲しさに最も相応しいのは”ひまわり“である、という選択をされた監督は鋭い感覚の持ち主だったのですね。
 
 夏至から1ヶ月が経って、日の出が5時台になってきました。薄明という美しい時間を大切に過ごしましょう。花たちも鳥たちも目覚めてあなたを待っています。
 気になる花鳥を見つけたら、次に会うのが待ち遠しくなります。それが古から元気の秘訣です。

蓮の日に

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 ポストにこんな華やかな絵はがき(写真)が入っていました。
 江戸末期の御用絵師、岡田為恭の蓮花図の部分とのこと。日本画の美しさに見とれます。美術に疎い私でも、高価な絵の具が塗り込めてあることが分かります。

 7月。例年なら、蓮の観察会が早朝にあちらこちらで行われる頃です。
 お寺や公園で見る蓮の花もよろしいのですが、ベトナムに咲く蓮も捨てがたいものです。
 土煙をあげて走るバスから見る視線の先には必ず蓮がありました。それは、作られた池ではなく、大きな水溜まりのような所に咲いていました。
 蓮なのか睡蓮なのかは不明ですが、あちらにもこちらにも野趣に富む景色を美しく彩っていた姿が忘れられないものとなっています。
 いつか再訪できたときには、アスファルトとコンクリートで固められて、水溜まりがなくなっていたら・・仕方ないですね。


 ところで、鑑賞するだけではなく、蓮は全ての部位に薬効を持ち、漢方薬として使われます。
 ①果実は「蓮子」といって、甘味で補脾作用、渋味で収斂作用があります。
 ②果実の中の青い胚芽は「蓮子心」といい、苦寒ですから心煩不眠の解消や、心腎不交の改善に「清心蓮子飲」という漢方薬に使われています。
③葉は荷葉。苦、渋、平で清暑利湿という薬効があります。暑さを冷まして水の代謝をよくします。
 ④花の蕊は蓮蕊といい、遺精や帯下に使われます。
 ⑤柄は荷葉梗。泥の中からすくっと立ち上がる一筋の柄にさえ薬効を見た先人に頭が下がります。
 
 特にこの暑くて多湿の季節には③にあるように、蓮茶が有効です。近頃は少し大きいスーパーなら置いています。蓮の香りがいかにも暑気払いをするに相応しいものですから、一度はお試しあれ。

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 蓮の花は、泥の中から咲くのに汚れがないことに多くの詩人、文人が魅せられました。
 「蓮花之君子者也(蓮は花の君子なる者なり)」と加藤徹先生の『漢文で知る中国』に収められています。
 北宋儒学者、周敦頤(1017~1073)が書いたエッセイに出てくる言葉だそうです。
 周敦頤は、ドロドロした俗世の現実(泥)の中に根を張りながらも、清浄無垢な花を咲かせる蓮のような生き方を思慕したようです。そして、学問によって精神を磨けば万人にも聖人に近づけるチャンスはあるという説を唱えました。
 
 媚びる色気を匂わせない蓮花に学ぶことがいっぱいです。

今日7/11は入伏です

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 窓から、草刈り後の匂いが流れ込んできます。あぁ、この季節、好きだなぁ。この年になって、贅沢な匂いと感じるようになりました。
 近くのスーパーに買い物に行った帰り道、孫が「ゴーゴー聞こえる」というのです。私には聞こえない音でした。
 見上げると、行くときには見事に立ち上がっていた真っ白な入道雲に替わって真っ黒な雲が追いかけて来ています。程なく、本当に雷がなり始めて、孫に「あんたは天気の子か!」と可笑しくなって笑いました。

 梅雨前線とは不思議です。太平洋高気圧があっち行け!したとたんに突然消えるのですね。
 蝉が鳴き出し、太陽光は照りつけます。
 昨日までのまとわりつく湿気と気だるさはどこへやら。本格的な夏が始まりました。夏の子にはうれしい夏の始まりです。
 汗をいっぱいかいて身体に熱を溜めないようにしましょう。
 冷たいものよりも、熱い鍋などいかがでしょうか。例えば、韓国のサムゲタンも夏のお料理です。いつ食べてもよいのですが、この季節にこそ必要とされる滋養強壮のスープです。
 冬はあまり汗をかくと、温存すべき気を損じます。反対に夏は活発に動いて熱を放散することが養生のポイントです。


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 二十四節気小暑大暑を過ぎて、8月に入れば立秋になります。この期間が一年で最も暑い時期です。
 夏至から三回目の「庚の日」を初伏、四回目を中伏、立秋過ぎの「庚の日」を末伏といいます。
 なぜ、何に伏するの?それは、陰陽五行説からきています。今、夏の盛りは「火」の勢いが強く「庚(かのえ=金)」を溶かす勢いです。だから、火に侵されないように庚の日は慎みをもって静かに過ごすようにと、秦漢の時代から続く風習です。

 「伏日、並びに湯餅を作る。名付けて辟悪餅と為す」と荊楚歳時記に書かれています。

 北京あたりでは、今日7月11日を入伏の日として、餃子を食べるそうです。餃子といえば、焼き餃子だと思いがちですが、北京の人は水餃子です。湯がき上がったら好みのタレにつけて食べるのが北京流です。
 ちなみに、中国は南船北馬というように、北と南では気候や地形が違うことから、風習も異なります。北方は粉文化ですから、餃子や麺がよく食べられるのです。
 日本では、大阪の天神祭にはタコ、京都の祇園祭ではハモ、土用の丑の日にはウナギを食べて、暑気払いをするのと同じことですね。

 「暑中お見舞い申し上げます」
 酷暑が始まります。どうか皆様、この突然の暑さに負けないで、コロナにも負けないで、元気に過ごしましょう。
 この夏を乗り切る一番の方法はオリンピックをテレビ観戦して、松岡修造さんに負けないほど熱く応援する事です。応援することは、自分の中の血が滾ります。体のエネルギーと心の喜びが二重奏となって、自分を応援してくれることでしょう。元気は自分で作り出すものですよ~

九州豪雨

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 明日は、轟さんの舞台を観劇する日。
 この「再会」を、首を長くして待っていました!とお手紙に書こうと思っていましたのに、朝からとんでもないニュースが報じられています。
 九州地方の豪雨です。
 彼女は去年も甚大な水害被害があった熊本県人吉市出身。人吉市の中学を卒業すると同時に宝塚音楽学校に入学したエリートです。
 その彼女が、ついに退団を決心されるに至りました。
 劇団の理事として、いつまでも永久に残ってくださるものと、ヘンな安心をしていましたことを、今になって反省しきりです。いつでも会えるという気のゆるみです。
 退団へ心変わりしたのは、たくさんの理由があったことでしょう。人は誰でも、昨日の自分と今日の自分は同じではありません。なので、彼女の決心を受け入れるしかありません。
 ただ、去年の豪雨で増水した球磨川の映像を、遠く離れた宝塚でご覧になった時のショックは想像に難くありません。故郷の見慣れた人吉の町が流されていく悲惨なありさまを、ただただ見ていることしかできないことに大きなショックを受けられたことでしょう。
 直ぐにでも、飛んで帰りたいのが一人娘の心情だったはずです。
 なのに、コロナはその行動を許してはくれませんでした。まして、舞台人という制約があります。

 昨日から始まったサヨナラ公演をどんな気持ちで演じ終えられたことか。あるいは、今朝からの舞台を平常心で演じることができたのだろうか。
 もちろんプロ意識の高い方ですから、そんな私的なことは、欠片もお見せにならなかったことでしょう。それでも彼女の心情をいろいろ考えると、明日は、涙の滲む観劇になりそうです。一緒に観劇するすべてのファンの心はその一点で結びあい、熱い気持ちが劇場内に満ちること必定です。
 天の神様、どうか雨を上がらせてください。
 九州地方の皆様のご無事を心からお祈り申し上げます。


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 彼女のファンクラブに入会したのは、同僚の勧めがあったから。つまりは、その同僚と出会っていなかったら、轟さんと深い関係?も持ち得なかったわけで、人の縁とは不思議なものです。
 あれから、もうかれこれ20年以上が経ちます。
 子育てが一段落したとはいえ、その無味乾燥な中年時代を轟さんのパワーをもらって過ごせたことは、偏に有り難いことでした。
 人生は仕事が山積みでも大変ですが、空の巣になっても潰れるものです。その空洞を絶妙なタイミングで埋めてくださったことに感謝しかありません。
 そして、副産物は鍵っ子にせざるを得なかった娘の孤独感をも癒やしてくださったことです。学校から帰ってきたら、直ぐに轟さんのビデオを観て過ごしたおかげで、今でも、どの出し物の歌でも上手に歌って、私を喜ばせてくれます。
 誰かを本気で応援するのがこんなに楽しいことと教えてもらいました。
 
 母も女学校時代に宝塚に日参した人なので、一緒に行かない?と誘ってみたことがあります。答えは「No!」でした。
 本当に入魂したら、燃え尽きるものだということを、今の自分は理解できます。
 劇団には申し訳ありませんが、轟さんと一緒に宝塚を卒業することをお許しください。
 轟さんの舞台に大興奮した自分にはもう戻ることはできないと思うからです。
 明日も入れて、あと4回の時空の共有。泣きながら、最後の応援をしたいと思います。