こころあそびの記

日常に小さな感動を

「こころ旅」ファン

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 こんな時だから、お便りでほっこりするほど豊かなひとときはありません。
 先日友人から届いたお便りは、「近郊のハイキングもマンネリ」。ふむふむ。「(習っている)オカリナは難しい曲になってややストレス」。なるほど。一言ひとことに頷きながら読ませてもらいました。
 彼女が、工夫しながらこのコロナ禍の日々を元気に過ごしていることを、嬉しく拝見したことでした。
 コロナ騒動が始まってもうすぐ二年になりますから、人々のストレスも我慢の限界かと思われます。それでも、この国の人達はいい人ばかり。お互いさまと思いを共有しながら生きられるところが素晴らしいと感じます。
 
 彼女が「BS こころ旅も好きです」の添え書きしてくださったことから、久しく見忘れていた番組を思い出させてもらいました。火野正平さんが全国を自転車で旅する番組です。
 実は、火野正平さんは高校の一時期を桜塚高校で過ごされたとか。そんなこともあって、この番組をより身近に感じています。桜塚高校は共学になる前は女学校でした。正平さんが、女の子に囲まれ慣れているのはそのせいかなと勝手に推測したりしています。
 道端で急に話しかけられて、呆気にとられながら対応される地元の方の人の好さを映しとるところがこの番組の真骨頂です。
 かつては、イケイケだった火野正平さんも、近頃は、上り坂を自転車で登る姿にハラハラさせられることが多くなってきました。大丈夫かな?ディレクターも考えあげてよと画面に向かって突っ込みながら応援しています。
 その彼の言語録で今でも覚えているのは「僕は何もしないのに女性の方からついて来る」と言い放たれた言葉です。
 こういう彼の人となりが今も変わってないから、訪ねる先々で出会う人との無作為な交流が、視聴者を喜ばすのでしょう。

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 何も働きかけないのに、人が寄ってくるという徳を持つ人の話が『荘子』に出てきます。
 
 ー「哀駘它(あいたいだ)」は醜男でした。しかし、男で彼と一緒にいると、彼を気に入って立ち去ることができず、女で彼を見かけた者は父母に「人の妻になるよりは先生の妾になりたい」といわしめる人でした。ー

 人は生まれるときに持たされたものが、その人のすべてだと言ってしまえば、お目玉を食らうでしょうか。
 人は必ず持って生まれている。哀駘它(あいたいだ)のように、その何かが分かりやすい人もいれば、磨かなければ輝かない人もいることでしょう。
 人それぞれ。与えられた何かを探す旅が人生だと考えた方が、生きがいがあるように思っています。

シンデレラストーリーはいずこへ

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 Amazon prime original版で『シンデレラ』を観ました。
 久しぶりにアメリカ映画を観て、若かりし頃に馴染んだアメリカ音楽に浸りました。
 戦争が終わって生まれた世代は、新しい音楽としてアメリカ音楽を受けいれました。山下達郎さんの音楽が何故古びないのか。それは、私達が青春時代に体に染み込ませた音だからだと思います。

 さて、こんな年になっても、「シンデレラ」という響きは女性にとって永遠の夢を連想させる言葉です。
 継母に苛められて家事をさせられ、灰かぶり姫といわれた娘が、夢のような展開で素敵な王子様に見初められます。
 今回観た『シンデレラ』の前半はその通りのストーリーでした。続きは、幸せな結婚だったはずです。
 ところが、そこからが、現代風に書き換えられていました。
 一昔前なら、結婚が女性の最終の到達点でありましたが、現代女性はそれだけでは満足しなくなっていることを思い知りました。
 王子様にプロポーズされても、「yes!」と即答しないのです。
 「私には夢がある。私は自分の人生を自分で選ぶ」というのです。びっくりしました。男尊女卑は通用しないどころか、男女差はこの世から消えてなくなったのですね。
 女性の自立を許して、一緒に歩いてくれる男性が好ましい男性像に変わったことを痛感する映画でした。
 
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 折しも、自民党総裁選挙期間中。女性候補も出馬されています。
 女を武器にしない女性候補という呼称はともかくとして、その勉強ぶりに感心しています。
 政治家を志したときの目標が総理であったかどうかは存じませんが、日々の研鑽は目を見張るものがあります。
 まさに、自分の人生を自分で掴み取る努力をされてきたことに頭が下がります。
 
 そう思って、朝、テレビを付けたら、「タキミカさん」という90歳のインストラクターが紹介されていました。
 肉体の鍛錬を65歳から始め、「年齢は単なる数字でしかない」と挑戦を続けておられるそうです。
 
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 昼からは、フィンランド展に行ってきました。
 フィンランドの有名ブランド「マリメッコ」。女性のデザインが認められたことで、フィンランドの女性進出を確かなものにしたことを知りました。
 
 ぼーっとしているうちに、世界は大きく変わってしまいました。
 映画を観ているように。

猫がネズミを追いかける理由

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 何が日曜日の醍醐味がといって、ゆっくり新聞が読めることほどの楽しみはありません。
 産経新聞論説委員、木村さやかさんの「日曜に書く」を読んで、思い出したことがありました。
 犬派?猫派?と訊かれたら、迷うことなく犬派と応える私ですが、猫が特殊な動物であることは、薬膳を習っていた時に知りました。タウリンイカタコ貝類に多く含まれます。
 猫がねずみを追いかけるのはなぜか。それは猫が自分の体の中で作れなくなったタウリンを求めてのことだそうです。
 タウリンは少し前にもブームになった、生理活性物質です。疲労回復に「ファイト一発!」と飲まれる栄養ドリンクで一世を風靡しました。
 今でも、処方箋にタウリン散を見かけますから、まだまだ信者は多いようです。
 では、なぜ、タウリンを自己生産できなくなったか。それは猫族が肉食を続けているうちに、獲物から獲得できる、できる、・・・そのうち生産が退化したという具合らしいです。
 これは、私達も気をつけないといけない教訓です。
 与えられることに慣れてはだめ。サボった分だけ後でしっぺ返しを食らいます。
 
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 さて、その「日曜に書く」の内容ですが、東大の宮崎徹教授の研究が発表されるや否や、一億円を超える寄付金が集まったという話から始まっていました。
 先生は、猫には「AIM」という腎臓のゴミを掃除するタンパク質がないことを突き止められました。そのために、猫は腎臓病にかかりやすいそうです。
 だから、腎臓病の猫を飼っている人達から、先生の研究への期待が集まったのです。
 いずれは、人への応用の可能性が待たれます。なぜなら腎臓を傷めても、今のところ治療薬はないのです。
 ストレスをなくして、ゆっくり寝てて下さいといわれても、社会に置き去りにされた感は日々大きくなるばかりです。
 「猫が救われ、人間の救いになる日が待ち遠しい」と締めくくられていました。私も賛同いたします。

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 朝の散歩で、車椅子に乗って、前脚だけで歩いているコーギー犬とすれ違いました。お婆ちゃまと娘さんが付き添っておられます。
 思わず、「おはよう!えらいね」とマスク越しに小声をかけずにおれませんでした。だめなんです。うるうるきそうで。
 自分を甘やかさないことを教えてもらいました。

On the heavens(天を詠める)

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 平仮名の名前はどんなときに困るかというと、書道で漢字を書いたときの署名と落款です。かたい雰囲気が一発で和らいでしまいます。
 なのに、どうしたことか孫娘が平仮名で名付けられてしまいました。きっとどこかでつながっていた証なのでしょう。
 その孫に「ミータンは“美”しいという字が二つもはいってるから“べっぴんさん”!」と教えてやると照れながらも喜んでいるようなそぶりです。
 孫娘にした説明は、万葉仮名に置き換えればという意味です。万葉集に使われたから万葉仮名といわれます。  
 次の有名な歌ももとは漢字。

「天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見」巻7-1068番

 学生時代に教科書で見た日から、頭の隅にくっ付いて離れない情景です。
 柿本人麻呂は万人が見ている空を舞台に、他の人には見えない自分一人だけの映像を作っていた。今でいえばスーパー映像作家ですね。振り返れば、私自身この歌を知ってから、夜空の見方が変わったように思います。
 ギリシャ人が星々でお話を創作したように、星だけではなく天空そのものを相手に独創的なお話を作った先人を誇りに思います。
 「果てしなく広がる天の海に、雲の白波が立ち、その海を月の船が星の林を漕ぎ渡って行くのが見え隠れしています」
 なんと、壮大なロマンでしょう。この見方を知った日から、夜空は親しいものとなりました。

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 ところで、今朝の新聞書評欄で懐かしい名前を目にしました。
 リービ英雄さんです。
 アメリカから日本へ、そして、その後中国大陸へ渡って、とうとうチベットに到達されているようです。
 2004年に彼が出版された本を持っています。
 『英語でよむ万葉集』です。
 アメリカ人の彼が、源氏物語芭蕉以上に興味をもったのが万葉集でした。そのスケールと多様な叙情的表現は世界に例を見ないものと評価しておられます。

 On the heavens

On the sea of heaven
the waves of clouds rise,
and I can see
the moon ship disappearing
as it is rowed into the forest of stars.

 「夜空を見て天を詠み、天の姿を地上の比喩でつなげるレトリックを成立させた」と柿本人麻呂を評されています。

 大風が空を清めてくれました。
 中秋の名月ばかりでなく、天空そのものの大きさ深さを味わう季節の到来です。

きのこのこのこ元気の子

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 「お届けものです!」
 四国からは新米、信州からはりんご。食いしん坊の私は、こんなことで秋が来たことを実感しています。
 Instagramを見てたら「キノコご飯」を載せている方がありました。
 秋といえば松茸ですが、それは上等すぎますので、お安いキノコをふんだんに入れて作る”キノコ炊き込みご飯“もよろしいですね。
 昔は山に入いって取ったキノコが今では、工場の中で生産されていると聞くと、ちょっと侘しさはありますが、おかげで、たくさんいただけるのですから、ありがたいことです。
 キノコ話を一つ。
 キノコには食物繊維が含まれるほかに、免疫力をアップする効用があるといわれて久しいことです。
 40年前、大学生だった頃、ゼミ教室の教授が椎茸の抗がん作用を調べておられました。そんなかけらを勉強したような。いやいや、しなかったのですが、キノコには隠された大きな作用があることは覚えています。
 大村先生が土壌から発見されたイベルメクチンではありませんが、必要なものは必ず与えられているということを信じるきっかけになっています。
 隠れているものを発明発見するには、信念が必要です。教授も「キノコには免疫を高める成分がある」という仮定を実証すべく、あらゆるキノコを調べ上げておられました。
 その結果、キノコの中でも「舞茸(マイタケ)」が最も抗がん作用が高いと発表されたため、「雪国まいたけ」騒動の発端となったことはご承知の通りです。
 コロナ禍でもありますから、今年の秋は「キノコの炊き込みご飯」はいかがでしょう。炊き込みご飯は、栄養分の損失がないから、効率的に有効成分が摂取できます。
 
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 毒キノコを誤って食べて中毒になったというニュースは、秋になると必ず何件かあります。本物を見分けるのは難しいことです。
 不思議なことですが、達人は間違わないのです。
 知人に、ほん近くの公園でキノコの一種、霊芝(レイシ)を見つけた人がいます。半信半疑で調べましたら、本物だったことに、驚いたことがあります。
 この名人は冬虫夏草を見つけることにも長けておられます。冬虫夏草が日本にあるなんて信じられますか。自然を親友にしている方だから、あちらから声がかかるのかもしれません。
 
 キノコの王様、霊芝だけでなく、キノコは免疫力を高める力を持っています。
 それは、体の中の水捌けと関係があるようです。多くのキノコは利水の働きがあります。水の捌きが留まることは、よろしくない症状を引き起こします。
 そして、その水を動かすものは「気」です。これが原動力です。
 
 夏にかいた汗が、一緒に「気」を流してしまっています。それが夏の疲れ。
 「気」は脾胃で消化したものを元に生まれます。胃腸を疲れさせない程度に秋の恵みを堪能して、「気」を補充いたしましょう。
 それから、日の出は5時半を回るようになってきました。太陽の真似をして、少しゆっくり起き出すことも秋の養生です。

ツユクサと宇宙

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 露草が朝露に濡れて群れていると、つい足を止めてしまうのは、その花の色の鮮やかさのゆえでしょう。
 英名をDayflowerというそうですから、朝咲いて夕に萎むという儚さが、愛されたことは想像できます。

 「月草のうつろひやすく思へかも
 わが思う人の言も告げ来ぬ」
 (月草之徒安久念可毋 我念人之事毛告不来)

 万葉集、巻4-583番。大伴坂上家之大娘が大好きな家持へ気持ちを吐露した歌です。
 月草とは露草のこと。
 朝の露草を見れば、夜のうちに月の雫を受けて咲いたのかしらと見まがうというのは言いすぎかな。単にツキクサがツユクサに変音しただけなのでしょうか。
 他にも、花草、蛍草、青花と別名がたくさんあるくらいですから、昔からいのちをつないできた植物のようです。なかでも、「着き草」という名前が直接的で面白いと思いました。
 花弁を擦ると青色が着きやすいからと付いた名前です。2000年前、染色技法が伝わる前の日本人は、花を直接、麻布に擦り付けて染めていたといいます。指を青色に染めながら色を移す作業をしている女達の様子が彷彿と蘇ります。
 子どもが今もしている色遊びは、万葉人もしていたのですね。そう思うだけで時空が広がる気持ちがします。
 
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 三好達治が感じたツユクサの宇宙観は、初めて宇宙に飛び出した宇宙飛行士ガガーリンの「地球は青かった」という言葉と重なります。
 染色家の吉岡幸雄さんが著書『色の歴史手帳』の中で、藍染のことを語られています。
 生の藍の葉を刻んで水に入れて、藍色を揉みだした中に絹糸を入れて染めていくと、「まるで澄んだ空のような藍が染まっていく」と。
 青色は、空や、それを映す海を想い出させるふるさとの色です。高揚する色というよりは、心が落ち着く色。心静かになったとき、本当の自分が映る色かもしれません。
 
 色彩を学んで、一番印象的だったのは日本の色名でした。この美しい日本語は伝えていきたいものです。
 「甕覗(かめのぞき)」甕にちょっと浸けただけの一番淡い青色です。
 次に少し濃くなって「浅葱色(あさぎいろ)」。そして露草の色である「縹色」(はなだいろ)と順々に濃くなっていき、藍色に到達します。
 縹色にも薄いものから濃いものまで段階があります。
 私は「薄縹」という灰色を帯びた淡い青色が好みです。
 
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 さっき、庭で集めた露草で染めてみました。子ども心になって、色を作ることは本当に楽しい作業でした。

“壺”マーク

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 朝、本箱をずらっと見渡して、今日の気分に合う本を鞄に放り込んで出掛けます。
 読みもしないのに、そんなことを繰り返すために、本が鞄から溢れそうになることもしばしば。重くて手に負えなくなったら、整理するという毎日を過ごしています。
 
 今朝は、『柿の種』(寺田寅彦著、岩波文庫)を手に取りました。理系の視点というより深い洞察力をオブラートに包める表現力には恐れ入ります。頭のとろい私には、読んでしばらくして、やっと飲み込めるという文章です。そこが、魅力です。
 昼休みにカバーを外して、馴染みある表紙を見ていましたら、あれっ?と気づいたことがありました。
 岩波書店といえば、「種まく人」のマークではなかったかな、と。
 なぜ、擦り込まれているのかというと、『広辞苑』です。小学校の卒業時に恩師から贈られた、そのデカい辞書は、私のコレクションの最古のもので、最高に貴重なものです。
 その表紙の「種まく人」がこの出版社のイメージを固めてしまいました。
 創業者の岩波茂雄氏の言葉「低く暮し 高く思う」は、イギリスの詩人、ワーズワースの詩の一節から取ったものだそうです。高邁な精神をもって日本を目覚めさせようとした姿に惹かれます。
 そんな理由でランクづけするなんて愚かと分かっていても、岩波書店が一番と擦り込まれた好感度は消えないのです。
 ですから、大好きな幸田文さんが岩波書店から全集を出されたときは流石と思いました。
 その後、よくよく調べてみれば、創業から14年後に岩波文庫が創刊された時の二十何冊の中に『五重塔』(幸田露伴著)が含まれていたことから、親娘つながりなら当然と思った次第です。だからといって、幸田文さんの評価を下げはしない私です。
 
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 ところで、その岩波文庫のマークは何であったかというと”壺“でした。
 表表紙は唐草模様、裏表紙は”壺“でした。
 この装丁は平福百穂(1877~1933)が、正倉院御物の「鳥獣花背方鏡」の文様を模して図案化したものということです。
 ”種まく人“で文化が育つようにと願いを込めたように、”壺“からよき未来が立ち上ることを念じたのですね。
 調べているうちに、もう一つ大発見をしてしまいました。
 岩波文庫はご存知の通り、本の上部はアンカットです。昔から、本屋に整然と並ぶ岩波文庫群を見て、なんで真っ直ぐに切れてないのかな?埃がたまるやん、と考えていた自分が恥ずかしい。
 あれは、フランス装風の洒落た雰囲気を出すためだったそうです。実用的にしか物を考えられなくて、これが寺田寅彦に追いつけないところです。
 「なるべく心の忙しくない、ゆっくりとした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」
 そう話しかける彼の心に添うように、秋の夜長を楽しみたいと思います。