こころあそびの記

日常に小さな感動を

「寝る前に何かを食べるのは×」だなんて

 

マスモト・ケイさんの干支占い「きょうの運勢」が終了してこの方、朝刊を開く楽しみがなくなってしまいました。
 良くても悪くてもたかが占いです。それを見たからどうってことはないのですが、一行十二文字に収まる言葉を十二支ぶん、365日考えるのは並大抵ではないことと、いつも感心していました。 
 それが、突然、記事がなくなったのです。がっかりしたことは言うまでもありません。
 しばらく空白だった場所に、あらたにアストロウーガさんの「きょうの誕生月占い」が始まって数ヶ月。
 干支という東洋的な感じが好きだったので、西洋占星術に馴染めずにいました。
 

 ところが、そんな私の気持ちを見越してか、本日、一撃をくらいました。
 「寝る前に何かたべるのは×」。
 吹き出しました!
 どこで見てたの?神様はお見通し?

 ダメと重々分かっていても、口さびしくなって、つい柿の種やポテチに手がいきます。置いておかないことがいいに決まっているのに、買ってしまう意志薄弱さ。
 これって、五月生まれの人に共通するの?それはないですよね。
 朝からひとりで大笑いしたことでした。
 アストロウーガさん。これからは、熟考してくださった十二文字を楽しむことにします。よろしくお願いします。

 占いは古代には、為政者のものでした。
 星の運行や甲羅に入るひび割れの形から、天変地異や、収穫を予想するものでした。
 それが、民衆に広まり、今でも絶大な人気が衰えません。
 人は岐路に立った時、たとえ心は決まっていても、誰かによっしゃと後押ししてもらいたくなるものとみえます。
 占いは古来からデータを積み重ねた統計学です。
 だから、条件を入れたら答えが割り出されるまでは、数学と同じです。
 が、そこからが占い師の腕の見せ所です。百人百通りの応じ方があります。
 なので、もし占ってもらうなら、回答をそのまま相談者に伝えるのではなく、相談者をよく見通せる目を持ってアドバイスができる占い師を選びましょう。

 占うことが、自分に課せられたこの世の役割であることを理解しておられる方にみてもらうのが賢明策だと思います。

夏至に思う

 朝になり、家々から聞こえてくるのは、雨戸を引く音ではなく、シャッターを上げる音になって久しいことです。
 近頃は電動シャッターもありですから、子供にも操作できるようになりました。
 昔ながらの木の雨戸を開けるのは、少しだけ知恵が要りました。しかも、後ろから、音を立ててはいけない、丁寧に扱いなさいと母の声が飛んできます。
 叱られた日を思いながら、シャッターを上げて見上げた空は、灰色一色で雲の存在も見えない有り様でした。
 激しい雨が通り過ぎたあとは、樋に水が流れます。その音量で、雨の恐ろしさを実感した朝でした。

 こんな日ですから、雨の日にしか味わえない場所を訪れるのも一興とも考えましたが、家で読書するのもまたよしとお籠もりを決め込みました。

 幸い、昨日借りてきた中野幸次著『自分を活かす”気“の思想ー幸田露伴『努力論』に学ぶ』が手許にありました。
 中野孝次さんは父と同い年。
 同じ時代を生きた人を辿ることで、少しは父を理解してみたいということがもちろんあります。
 しかし、それよりも中野孝次さんの好きなものが、良寛さんであり、道元さんであるというところに親しみを覚えるので時々拝読しています。
 しかも、この本が幸田露伴が考える「気の思想」ということですから、期待を持って読ませていただきました。

 幸田露伴は「幸福三説」を説いていることを知りました。
 惜福は全部使い切らないで残しておくこと。分福は分け与えること。植福は例えば「りんごの木を植える人」のように、人世に吉慶幸福に寄与すること。
 

 父の時代の人は今よりは漢籍を学んでいましたが、それでも時代は新しい思想を取り込むことに走り出して止まりませんでした。 
 しかし、その一世代前の江戸時代終盤に生まれた幸田露伴の時代には、まだ、東洋思想が色濃かったのか、あるいは露伴の勉強がそこまで及んでいたのか。”気“というものが、いのちを生かす根源であると記されていることに、漢方を齧る者として心強く思いました。
 
 自然のリズムに従って生きることを“気”を使って説明しています。
 払暁に“気が張る”。暮れどきに”気が弛み“、夜には”気が大いに弛む“。
 そして、次の朝、日がまた上れば、気もまた蘇って張る。
 このように、人と自然を一つのものと見ることが東洋で生まれたのはなぜなのか。いつか知りたいテーマです。

 また、中野孝次さんが”気“というものは若い時には分からなかったとおっしゃっています。
 深く賛同いたします。
 体のエネルギーが有り余る時には分からなくて、減ってきたからその働きが見えてくるとは妙なことです。
 年をとるということは、知らなかったことを体で感じられるようになる貴重な年限であることに感謝して生きたいと思ったことです。

すべては生き延びるため

 生け垣のマサキが花をつけています。堅牢な葉っぱに、こんなかわいらしい花を付けて、散歩する者を慰めてくれています。

 路傍のアスファルトの隙間にアザミが咲いています。写真をよく見ると、精巧にできていることに感心します。
 他の株は長けてフワフワの種を飛ばすところです。

 今回の公立大学公開講座「生物の多様性」は農学部の今西先生のお話でした。
 人間は自然に対して優しくないことばかりしているのではないかと思うことが多いのですが、今回は人間が手を貸すことで自然と共存している例を教えていただきました。
 それは、 「里山」です。

 日本は国土がアメリカやオーストラリアのように広大ではないのに、その他の国に比べて植物の種類が豊富で約7500種類あるそうです。
 それは、南北に長いこと、高低差があることなどから、多様な気候分布になっているからです。ただ、近年はそのうち四分の一が絶滅の恐れがあるそうで、もったいないことだと思いました。

 そこで、里山です。
 これは、人間が干渉することで、放っておいたら破壊が進む自然を守ろうという取り組み、というか、すでに日本では昔から行われてきたことです。
 「おじいさんが山へ柴刈りに行く」がその代表ですが、そのほかにも炭焼き、山菜採り、堆肥集め、下草刈りなど、人間は山を利用してきました。それによって、山も蘇ります。
 スプリング・エフェメラル(春植物=カタクリフクジュソウニリンソウ、)は、クヌギやコナラがある程度の大きさになったら利用を考えて伐採し、彼らが好む明るい森という条件を作ってやることで咲けると聞いて、里山こそ自然と共存する最前線であることが理解できました。
 

 講義中、なぜ、藻類から分かれて裸子植物被子植物と進化したのかというあたりがあやふやでした。

 そんなことを頭の片隅に抱えていたら、出ました!困ったときの田中修先生。
 
 昨日、久しぶりに車を走らせていたら、ラジオから「子ども科学電話相談」が聞こえてきました。
 田中先生に子どもが質問しています。
 「なんで、(花粉症という厄介な病気があるのに)植物は花粉をつくったのですか?」。
 子供とも思えない理路整然とした質問ぶりにびっくり。
 先生のお答えは、
 「藻類だけやとジメジメした同じ場所でしか育たないやろ。花粉を作って飛ばしたり、運んでもらったら生活範囲が広がって、生き延びる確率が増えるやろ。もし、花粉がなかったら、地球上はこんなにきれいではなかったかもしれへんで」。

 進化というのは、生き延びるためにあるということがよくわかりました。
 もう、これでいいと思ったら成長は止まると云います。
 だから、植物だって、人間だって、進化し続けるのですね。

6月のお話会

 今日は父の日です。
 「父の恩は山よりも高く、母の恩は海より深い」。
 そんな言葉を中国の友人から送られてきたカードで思い出しました。
 ただ、”父の日“がいつから始まったのか記憶になくて、少なくとも、母子家庭に近かった我が家では父の存在は希薄でした。
 そんな父が実力を発揮したのは晩年です。孫たちをこよなく愛してくれて、旅行先では、「ジッチャンの隣に誰が寝るか」で孫たちの場所取り合戦が繰り広げられました。
 孫、つまり私の子ども達は今でもジッチャンが大好きです。
 天国にその思いが伝わっていたらいいなと思います。いっぱい遊んでくれて、ありがとう。


 昨日のお話会も実り多いものでした。

 過日、「歯の定期検診」が義務化されることになったという一報がありました。理由を自分なりに調べたことをご報告しました。
 日本の死亡原因は、ガン、心疾患に続くのが肺炎だそうです。
 肺炎は脳血管疾患では機能不全により、老衰では筋力低下、不慮の事故では喉に詰めることでも起こりますから、実際には、もっと多数の死因となっているはずです。
 つまりは、細菌性肺炎だけではなく、肺への誤嚥が引き金になる肺炎があるのです。

 誤嚥を防ぐ方法が、歯茎の健康を守ることというのは、結びつかない気がします。
 しかし、口中の細菌は歯茎の中に潜り込んで住んでいます。そこで、歯茎の清潔度が問題になります。健康な歯茎と歯を持っていたら、おしゃべりも楽しいし、食べる喜びも持続できます。すると、かむ力や咀嚼力も持続できて、認知症防止にもなる。ひいては、誤嚥も防げる。
 そんなことから、医療費削減策として、「歯の定期検診」が国民に推奨されることになったそうです。

 さて、誤嚥を防ぐ方法ですが、大切なことは、歯茎を刺激することだそうです。食前に歯磨きをして、歯茎をマッサージしたり、氷を口に含んで歯茎をびっくりさせておくのも効果があるそうです。

 そんな話をしていたら、いつも思いを同じくしてくださる小西さんが、「わかりました。今から食べるよと体に知らせることが大切なんですね」と言ってくださいました。
 話は弾んで、「食前にお茶が運ばれて、一口潤しておくこともそうですね」。
 「そういえば、家族が揃ったところで『いただきます』と声を合わすのも効果あることだったのですね」といろんな意見が出ました。

 何気ない作法に秘められた極意に行き着いたことは今日の収穫でした。

 小西さんが、おっしゃったように身体に予告することが大切なこと。若い時には無意識にできたことですが、老年になれば身体との意志疎通が必要になります。細かいことは専門家にお任せして、五感が気持ちよいと思う生き方が健康に繋がります。

 参加者の皆様のメッセージに励まされ、うれしいお話会になったことです。

マダニ騒動

 悔やまれるのは、この春はみかんの花の匂いを嗅げなかったことがあります。
 春夏秋冬。四季の歩みは思いの外早くて、出会いを逸することも度々です。
 昨日、歩いていたら、もうこんなに(写真)可愛らしい赤ちゃんみかんが育っていました。
 地面には赤い野いちごがあって、緑色とのコントラストが美しいことです。
 自然の織りなす配色の妙に感心します。

 突然ですが、昨日の我が家の大騒動をご報告したいと思います。

 外出中に娘から、愛犬がマダニに食いつかれているとメールがありました。
 ニュースでは知っていましたが、それほど騒ぐことでもないと、その段階では、読み捨てていました。
 

 娘の方は、ネット検索で、「塩の浸透圧を利用する方法」を見つけたようで、早速、湿らせた脱脂綿と塩でマダニを患部から外すことに成功したようです。
 
 帰宅後に、愛犬からもぎ取った恐ろしげなマダニを見せてもらって、初めて事の重大さを知りました。

 マダニに食らいつかれたら、一週間は取れないほどの食いつき方をするとは恐ろしいことです。
 満足するまで血を吸う間に、細菌感染を起こさせるとも。
 そういえば、2、3日前から元気がなくて食欲もイマイチでした。また、どこかで何か悪い拾い食いしたのかと心配はしていたのです。
 

 どこで、マダニに食いつかれたのかは不明です。
 でも、一番可能性のあるのは箕面の山です。そこからついてきたならショック過ぎます。
 それが、自然との共生、生物の多様性というキーワードに結びつくわけですから、なんとも、何も責められません。
 彼らも生き延びるために必死です。
 草にくっついて、動物が通るのを待ち構えて、来た!と思えば早業で獲物に取り付くそうです。

 皆様もお気をつけ下さい。
 手で無理やり剥がそうとしても、外れません。どうぞ、お塩を使う方法をお試し下さい。
 それより何より、マダニに食いつかれそうな場所に行くときは、完全防備でお出かけくださいまし。

七十の手習い

 田植えが終わって整然と早苗が並ぶ田んぼに、梅雨空が映っています。
 年に一度のこの光景を、今年も見られたというだけで心が和んで、秋の収穫までお米と一緒に頑張ろう!という気持ちになります。
 

 田んぼの周りに張り巡らされた用水路には勢いよく豊かに水が流れています。
 富山和子さんが教えて下さっているように、日本のダムは水力発電所にあるものだけではないのです。
 こうやって、この時期、日本全国に水田というダムが広がっています。こんなに豊かな水に恵まれている。幸せだな。それを実感できるのが、田植えの季節です。


 さて、新しい職場も3ヶ月目に入りました。
 七十の手習い同然の毎日。
 若い人にご迷惑かけないよう、教えてもらうことを躊躇しないよう過ごしています。
 「年をとったら若い人に頼ることも大切」と教えてくれた友人の顔を思い浮かべながら、甘えることも修行の一つと割り切って楽しく働かしていただいています。

 平素は邪魔しないよう口を固く閉じていますのに、若い人が「漢方が得意なんですか?」と訊いてきたのをいいことに、本来のお喋りおばさんという地が出て、ペラペラ喋ってしまいました。

 話しながら、よくぞここまで導かれたという思いを深くしました。


 きっかけとなったのは、子供が西洋薬のない病気を患ったことでした。せっせと漢方薬の勉強会に通いたおしたのに、自分の知りたいことではありませんでした。漢方の薬じゃなくて、と悶々としていたとき、「人間は大自然の一員」という言葉に出会いました。
 薬ではなく、その考え方が好きなのです。これさえ知っていたら生きていけるというエッセンスです。
 そんな思いを抱き続けていたら、ひょんなことから大形徹先生に行き着いたというわけです。
 中国哲学の中には医学に関する古文献が多く含まれています。内邪、外邪を防ぐことは、生きる基本ですから、古代からあの手この手で研究がなされてきました。
 『抱朴子』『千金要方』『傷寒論』などなど、山のような漢字の山を研究されている先生方のお姿を見せていただくことが、励みになります。
 人生、何を思って生きていくか。その根本が揺らいでいては、地に足をつけて歩くことはできません。


 今、大形徹先生と出会って、いつの間にか5年が経過しました。
 言い換えれば、本当にやりたいことにたどり着くのに、65年もかかってしまったわけです。
 夢は諦めないこと。捨てずに抱き続けたら、必ず達する日が来ると書いてある書物をひたすら信じてきて、やっと本当だったと感じるに至れたことは幸せなことです。
 

 中国哲学が服薬指導に役立つかという疑問には、役立ちますと断言します。
 ドクターの守備範囲を外れた所にある患者さんの虚しい気持ちに応えうるものだと思っています。
 様々な疑問にお応えした後、ニコニコ笑顔になって帰って行かれる患者さんの後ろ姿を見送るとき、自分も笑顔になっていることに気づいてうれしくなります。

カラスのこと

 出かけようと外に出たら、娘が大きな声で「しっ!しっ!」と手を叩いていました。
 「きゃー、猫と思ったらカラスやった。見てよ!あそこ」と指差す方をみたら、隣の屋根の上で、大きく嘴を開けて何かを食べているシルエットが。
 もう、そろそろ収穫どきだと思った時にかっさらわれたのは、真っ赤に熟したミニトマトでした。
 写真にあるように、枝の込み入った奥に実ったトマトだから、取られることはないと気を許したことが、カラスの思う壺だったのです。
 小玉すいかが丸ごと朝の畑から消えた時には、夜中に泥棒が入ったかと疑ったこともありました。
 犯人はいつもカラスです。
 いい具合に熟したときに持って行かれてしまうのです。どうして分かるんだろう。

 今朝、タイミングよく、ラジオから「今日のゲストは動物行動学者の松原始さんです。カラスの研究をされています」と流れてきたので、お知恵拝借とばかり聞き耳をたてました。
 残念ながら、美味しいときに横取りされるのを防ぐ方法はなさそうでした。
 農家の方々も、カラスより早く収穫しようとした矢先に、カラスに先を越されるそうです。
 収穫どき、食べどきが分かるカラスは頭がいいとしか云いようがありません。
 それも、嗅覚ではなく視覚で判別しているといいます。失敗から学ぶ力があるから、黄色のゴミ袋なんてとっくに見破られているのだとか。

 しかし、ただの怖いだけの鳥ではないことを教わりました。
 カラスは生涯、同じ相手とペアを組んでいるそうで、先生は死んだ相手の横に寄り添って鳴くカラスも見たことがあるとおっしゃっています。
 パートナーを大切に思う感情を有していることが分かります。
 
 それから、頭をつつかれた経験を持つ人がおられます。襲ってくるのは、大概、繁殖期の親で近くに子育て中の巣があるときだそうですよ。そうでないカラスは襲ってくることはない。襲われたくなければ、その場を離れるのがベストだそうです。

 夫婦の情愛が深く、親子の愛はどこまでも熱い。
 怖そうに見えるのに、自然界で生存するためには優しさが必要と教えているようです。今、人間が彼らから学ぶべき大切なことです。
 

 昔は鳥はバカだと思われていたそうですが、なんのなんの、その説を打ち砕く先鞭をつけたのはカラスです。人間との知恵比べにことごとく勝利しています。
 いまでは、研究が進んで、四十雀も敵の接近を知らせ合っていることが分かっていますし、植物同士が会話し合っていることも周知のこととなりました。
 人間だけが他言語の習得ににあくせくしているなんて、鳥たちに笑われそうです。

 「カラス なぜなくの♪ カラスの勝手でしょ♪」。笑い転げた日々が懐かしいですね。