こころあそびの記

日常に小さな感動を

「空に上っていく」という体験

 小学校の時、山の遠足では、いつも最後尾。先生を困らせる生徒でした。 
 業を煮やしてY字形の木の枝を探してきて後ろから押してくださる先生もおられましたっけ。
 そんな弱っちい脚力と心肺機能しか持ち合わせていない私は山登りができる人を羨ましく思ってきました。
 ですから、テレビで山の映像を観るのがささやかな楽しみです。

 今朝のNHKBS『百名山』は「苗場山」でした。
 長野県と新潟県の県境にあって、野沢菜が美味しいスキー場だとだけは聞いたことがありました。そこにはちゃんとお山があったのですね。
 今日のガイド、高波太一さんの誠実なお人柄と、山頂に池塘が広がる光景に魅せられて最後まで観てしまいました。
 北国の生活を記録した『北越雪譜』(鈴木牧之著)に、春に雪解け水が溜まった池塘に稲に似た草が生えることから、苗場と名付けられたと記されているそうです。
 600ヘクタール(東京ドーム160個分)の湿原がある山頂は、登山者にとってはまさに、天空の楽園です。
 登って登って、ぱっと開けた場所に出る時の感動は、登りきった人にしか味わえないものと想像します。
 

 番組の中で、そろそろ頂上に近づいた頃、雪渓を上っている高波さんが「空に上っていけそうですね」とおっしゃいました。あぁ、心底から吹き出した感動を伝えてくださったと感じました。

 その時、思い出したのが、この番組のテーマ曲『空になる』です。
 さだまさしさんは、同い年。
 この曲は、実際に、彼が山を登ったから生まれた言葉としか思えない臨場感があります。

 「  『空になる』
  自分の重さを感じながら坂道を登る
  いくつもの峠を越えて
  もっともっと上を目指す
  いつか辿り着ける世界へ
  僕は雲を抜けた
  空の一部になる
  僕は空になる 」

 どんなふうに紡ぎ出すのでしょう。
 彼が作った曲は、どの詩にも真に迫る心情があります。
 それを、ちょっぴり哀愁を込めた曲に乗せるから、詩が活きてきます。
 ファンクラブ会員ではないから、詳しくは存じ上げませんが、どんな苦境にあってもバイオリンはやめなかったと聞いています。
 しっかりとしたドレミが染み込んでいるから、同じ昭和を過ごした者にすっと入ってきます。
 同じ時代を生きることは、共有できるものが多いということ。
 戦争を知らない世代の憧れや熱い思いが、彼の歌の中にたくさんあるように思えて、また聴いてみたくなりました。

また見~つけた!

 朝から大阪全域に強風注意報が発令されています。
 さっきまで鳴いていた小鳥たちのの声も止み、家中の扉がガタガタと音を立てているのは、恐ろしげなことです。
 逆巻く風で、延び放題の梅の木がワッサワッサと揺れています。色づいてきた実が落ちてしまうのはもったいないから、どうかお手やわらかにと外の様子を見ています。

 朝刊に、蕪村の『奥の細道』書写の巻物が、また見つかったと出ています。
 しかも、今回のものが最古のものではないかと書かれています。
 こういう発見が報じられる度に、その経緯が気になります。今回は、所有者が情報提供されたとか。
 災害にも戦火にも合わずに生き残っている古文書があることに驚きます。

 それにしても、蕪村はどれほど芭蕉を敬慕していたのでしょう。現存は4巻でした。今回は5巻目。一巻が長さ18メートルもある書写と挿し絵です。それを、推定で10巻も書いていたとは、芭蕉愛の表れでしかないように思われます。
 
 芭蕉という人が後世に残した「生きる」道は、今なお読み継がれているのですが、それを、芭蕉が没して直ぐ、交代に生まれてきた蕪村が意味を理解したのは、同じ方を向いていたからでしょうか。


 芭蕉が生きたのは元禄時代。蕪村が生きたのは文化文政時代。
 戦乱から立ち直って、江戸文化が華やかなりし頃。つまり、今の私たちと同様に戦争を知らない世代だったとあります。
 戦いの中で探る「生きる」意味ほど重くはないけれど、平和な時代にあって「生きる」ことを真剣に模索するのも、その意味を明らかにするために役立ってきたことは確かです。
 釈迦が生老病死を明らかにしたように。

 芭蕉が唱えた「不易流行」はあまりに有名です。
 不易は永遠に変わらないこと。流行は時と共に変わること。
 この世界はこの二つが循環しています。
 例えば、昨日聴いたホトトギスの鳴き声。古代からホトトギスがやってくる時期は変わりません。でも、間もなく季節と共に去っていくことでしょう。
 自然循環は春夏秋冬と間違いなくめぐるけれど、決して同じ所に留まることはない。
 
 芭蕉立石寺から奥羽山脈を越えて越後に至る旅程で、不易流行を確信する事になると、長谷川櫂著『奥の細道をよむ』から知りました。
 

 不易流行を無常と読むか、覚悟と読むか、淡々とした境地と読むか。
 蕪村はなんと読んだのでしょうか。
 挿し絵からは、芭蕉の到達した「かるみ」が見えるような気がするのですが。

 京都国立博物館に急がなくちゃ。

SDGsをさけぶ理由

 梅田行きの電車を待っていたら、賑やかにデコレーションされた車両が入ってきました。
 ドアの解放部分はかわいらしいデザインで、乗り込むのがちよっと気恥ずかしく思えたくらいです。
 なんでも、2019年から走っているそうですが、乗り合わせたのは初めてでした。
 SDGsの啓発を目的とした事業だそうで、乗車中も掲示されているステッカーやポスターで、勉強できるようになっていました。



 
 SDGsとは、持続可能な開発目標の略で、2030年までに17の目標を到達すること示しています。一人一人に生活環境の改善を意識してもらうことが目的です。

 ①貧困をなくそう
②飢餓をゼロに
 ③すべての人に健康と福祉を
 ④質の高い教育をみんなに
 ⑤ジェンダー平等を実現しよう
 ⑥安全な水とトイレを世界中に
 ⑦エネルギーをみんなに、
  そしてクリーンに
 ⑧働きがいも経済成長も
 ⑨産業と技術革新の基礎をつくろう
 ⑩人や国の不平等をなくそう
 ⑪住み続けられるまちづくりを
 ⑫つくる責任 つかう責任
 ⑬気候変動に具体的な対策を
 ⑭海の豊さを守ろう
 ⑮緑の豊かさも守ろう
 ⑯平和と公正をすべての人に
 ⑰パートナーシップで目標を達成しよう

 偶然というか、図られたというべきか、この電車で向かったのは、大阪公立大学公開講座。お題は「生物の多様性について」のお話を聴きにいくところだったのです。五回講座ですから、この日はごく一部分ですが、今西純一先生の講義から、自分が捉えられたところだけご報告したいと思います。

 地球におけるエネルギーの流れをシンプルに表せば。
 活動の源は太陽です。太陽がなければ、始まりません。
 そして、奇跡の星、地球には水があります。
 太陽のエネルギーと水をもとに、植物が光合成をします。
 その結果作り出されたエネルギーを動物が利用して、最終、微生物が分解して土に戻ります。
 こうして、循環はとどまるとこなく繰り返されてきました。
 この循環は木・火・土・金・水という古代人が考えていた循環そのものです。
 太陽を拝んだ先人の姿が思い浮かびます。

 ところが、このシンプルな循環に過大な負担をかける産業革命が起こります。
 そして、今、便利さの追求に酔いしれていた人間は地球を傷めていることにようやく気づいたのです。
 大阪市の活動を世界中でするとなったら、地球三個が必要と聞き、大変なことになっていることを知りました。
 だから、SDGsなのです。環境保全と経済活動との両立が目指すゴールです。
 


 目標を知っているだけでは現状は変わらないように思われます。
 身近な健康というゴールを意識するなら、医療の普及よりも、一人一人が路傍の草や、鳥の声を親しく感じることが優先すべきではないかと考えます。
 薬よりも感じる力。自然と共生している瞬間を体が感じることです。願わくば、そのことに感謝できたら最高の薬ではないでしょうか。
 自然の一員という意識が心身を健康に導き、ひいては、SDGsの達成に貢献できるかもしれないと、密かに思ったりするのです。

夏は来ぬ♪~

 今日もきっと見えるはずと、望海の丘に挑戦しました。
 竜安寺の法螺貝の音が下の方から響いてきます。今日は神変大菩薩の法要日なのでしょう。神様をお迎えする日に山に入らせていただく幸せを感じつつも、体はハーハーと息が切れます。
 時間はたっぷりあることが老人の強み。休み休み上りました。

 途中で、外国人の一行と出会いました。
 「おはようございます」と日本語で挨拶も交わせるし、「可愛いですね、名前は?」と私の連れの愛犬に話しかけることもできる方々でした。
 なのに、なのに、外国人というだけで、固まってしまう習性はなおりません。どうして、「どちらから?」とスマートに返せないのでしょう。
 英会話への投資もそれなりにしたのに、学生時代に道を聞かれて逃げ出した時と全く変わってないことにショックを受けました。

 上りきったら、海まで見渡せました。
 「あぁ、しんどかった。でも気持ちいい!」と、上ってくる方々の口から展望を賞賛する言葉がこぼれます。
 しんどかったけれど、美しいものに出会えた満足感はそれを上回ります。山登り愛好家の気持ちの一万分の一くらいの感動かもしれませんが・・・

 感動を後にして、山道を下っていると、「テッペンカケタカ!」と聞こえてきました。
 ついに、ホトトギスと遭遇できたことが、本日の収穫でした。
 「目に青葉 山ほととぎす 初鰹
            山口素堂」
 古来、万葉集の時代から愛されたほととぎす。一度は聞きたいものと思っていた望みが叶いました。
 
 「  夏が来ぬ
  卯の花の匂う垣根に
  時鳥 早もきなきて
  忍音もらす夏は来ぬ」

 卯月鳥、早苗鳥、勧農鳥などと書いて、すべて「ホトトギス」と読みます。
 この夏鳥が渡ってきたら、田植えを始める目安とした鳥です。だから、時鳥とも書きます。時を違わず鳴いてくれたことがうれしいことでした。
 なのに、自分で子育てせずに托卵するなんて。おもしろい鳥です。
 今、人間もみんなで育てることを模索中です。
 ただし、托卵までは許されても、他の子供を蹴散らすのは許されません。
 それがまかり通る自然界の掟とは、人間には想像できない厳しさを内包しているようです。

クチナシが咲きました


 我が家のクチナシが今季初めて花開きました。あたりは甘い匂いに満ちています。
 実は、まともに蕾まで行き着いたのは久しぶりです。
 この木が好きなオオスカシバという蛾の住処となってしまっていました。その美しい造形美は神様からの贈り物としか表現できないくらいものでした。飛び方も可愛いのです。
 惚れ込んだ娘が越冬にチャレンジしたのですが、途中で挫折したのは残念なことでした。
 今年は2月というへんな時期に剪定してもらったので、ひょっとすると彼らのいのちを奪ったのかもしれない。それが申し訳なく、花咲いた喜びにも、匂いにも浸りきれない気持ちが拭えません。
 蛾をたてれば木が傷み、木を守るとなれば蛾の住処がなくなる。
 過酷な現実を乗り越えなければ、生物の共生という理想は実現できないことを、こんな小さな生態系においても見せつけられました。


           隠元豆の花です

 クチナシはお正月に栗きんとんの色素として使われる他、漢方薬としても使います。
 山梔子とも書いて、性味は苦、寒です。
 体に余分に溜まった熱をとり、湿を乾かしてくれます。
 胸苦しい、不眠、排尿痛、解毒などに応用。
 ただし、長期間服用すれば、胃腸を損じることは「寒」で冷やす、「苦」で乾かすという理由からお分かりいただけるかと思います。
 

 興膳宏著『漢語日暦』の中の6月18日に「梔子」が載っています。

 「中国では古くから詩の題材になっている。唐の韓 愈の詩「山石」に、『堂にのぼり階(きざはし)に坐せば新雨足り、芭蕉は葉大いにして支子は肥ゆ』とあり、唐代にはすでに庭園に栽培されていたらしい。」

 クチナシの花は直ぐに朽ちて茶変してしまうのに、強い香りだけが消えることなく匂います。
 雨の季節に尖って咲く白い花。
 どこか自己主張気味とおっしゃる興膳先生のご意見も分かるように思います。

マグノリアの花

 六甲山が霞んで見えます。大気が湿気をたっぷり含んで空も雲も山も中間色。
 ぼんやりした感じがきれいだなと思いました。

 アジサイに主役を譲って、泰山木が静かに花の時期を終えようとしています。
 あのたっぷりとした花弁は、矯めつ透かしつ木の下から探してもなかなか見えないものです。
 時に、目の高さで咲いてくれると、豊かな花びらにありがとうって云いたくなるくらいです。
 純白ではなくて、ミルキー色。温かみを含んだところが泰山木の花のもう一つの魅力です。


 泰山木はマグノリア科の仲間です。
 拙著の表紙に書くために「玉村豊男」さんの画集からマグノリアを選んだのも随分前になってしまいました。
 上手には真似出来ませんでしたが、構図が似ているからご本人に了解をいただいておいたほうが良いとアドバイスをもらったので、お手紙を差し上げたことがありました。
 長野県上田に住まわれ、晴耕雨読の生活に入られて、何年目だったでしょう。
 とてもキュートな自画像入りのお葉書で、「どうぞ使ってください」とお返事を頂戴して大喜びしたことを懐かしく思い出します。
 玉村豊男さんとは、そんなご縁です。


 先日、阪大図書館で新書コーナーを漁っていたら、彼の著書を見つけました。
 『今日よりよい明日はない』というご本でした。
 ご無沙汰でしたのに、こんなところで再会できて喜び勇んで借りてまいりました。

 テレビのコメンテーターやコマーシャルなど、マスコミに引っ張りだこでしたのに、ご病気された後に、長野に居を移されたことは薄々存じ上げておりました。

 題名になっている「今日よりよい明日はない」は、偉人の言葉ではなくて、ポルトガルを旅しているときの会話から心に残った言葉だと云います。
 ポルトガルという王国を経験した民が、幸せとは何かを達観して受け入れているように思うと書いておられます。

 もっともっと幸せになるためにはと考え込むなんてばかげています。
 それは、体験不足の人の思い込み。
 もしも、病気になったり、心に傷を受けた人は幸せは足下にあると気がつくはずです。
 
 恩人、玉村豊男さん。
 マグノリアの花が咲くと、長野県上田のヴィラデスト・ガーデンファームを訪ねてみたくなります。

「日本は平和な国なんよ」という一行

 どうしても、あの新芽が食べたい!
 おいおい、両手をかけた枝が思いっきりしなっていますよ。

 あれ?脱走したくてしたわけじゃないよ。いつの間にか柵の外に出ちゃったよ。どうしよう!

 すぐさま柵の上に飛び乗って、早く帰れ!と鳴く親分。

 餌を漁っているのではなくて、巣作りに必要な藁を取っているんだって。知らなかった。
 人間も土壁を塗るときは藁を入れるよ。一緒やね。

 咲き始めた赤ちゃん。朝陽に溶けそうな淡い色。

 今日もいいお天気。気持ちいい!


 先日の朝刊に掲載された「日本は平和な国なんよ」という一行で終わる詩を読んで、ほっこりしました。
 大人の事情で、そのまま転記できませんが、79歳男性が子供の姿を通して、温かだった昭和を描いておられます。

 ある朝、庭の掃除をしている子供を見つけます。あれあれ、早くしないと遅れるよ。ダッシュで学校に走っていく後ろ姿に「先生は優しいかな」と心配しつつ、「大声でかましたれ!」とエールを送ります。
 その子が元気よく「おはようございます!」と校門をくぐった様子に安心して「(よっしゃ)それで遅刻はちゃらや。僕はそうしてきた」と。「日本は・・」という最後の一行で結ばれていました。

 すべての大人にお願いです。自分の記憶に残る温かみを今の子ども達に一つでもいいから、伝えてあげてほしい。

 世知辛い世の中になりつつあることを、マツコ・デラックスさんが「(これからますます)殺伐としていく」という言葉で表現されました。
 若くて賢い人がそんな強いメッセージを出さざるを得ないことにドキッとします。もっともなんだけど、それじゃ未来が泣いてしまいます。

 皆さんはこんな光景を目にしたらどうされますか?

 パン屋で子供がピックしたパンを落としてしまいました。
 周りの大人は見て見ぬ振り、レジの方はそのまま精算したというのです。

 おせっかいなおばちゃんはいなくなりました。イッチョカミは、無駄な訴訟を生むだけとみんなが後ずさり。

 ルールだけが大手を振ると、殺伐としてきます。
 法治国家を目指した秦の始皇帝が築いた国は数十年しかもたなかった。ルールだけでは人心が荒むことは証明されています。
 ちょっとした”あそび“が許されないと社会はギスギスしてきます。
 まあまあと間を取り持ってくれる人。
 こらっ!これからしたらあかんで!とゲンコツ一つで許してくれる人。
 手伝おうかと救いの手を差し伸べる人。
 ルール遵守よりも、柔軟な対応ができる心の強い人に憧れます。


 「日本は平和な国なんよ」といえる国であってほしい。
 こんなに美しい自然を持つ国土に生まれたのだから、心を澄まして生きていきたい。