「早春賦」
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞かば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
今日はいかにもこの一行目の「春は名のみの風の寒さや♪」どおりの日和です。庭の梅の花は食べ飽きたのか、まだ堅い桜の蕾に早く咲いてよと言わんばかりに、メジロが長逗留していました。
梅に鶯っていうけれど、本当は私なんだけど・・とも言いたそうに。
例年、この月末あたりに鶯の初鳴きが聞こえます。明日あたり、里に降りてきてくれる予感がします。春よ来い!
今年は雑音に煩わされない分、いつもの年よりかえって春の扉が開いていく様子をゆっくり堪能できているように思うのは私だけでしょうか。コロナのおかげ、天のおかげです。
さて、「早春賦」の美しい詩は吉丸一昌氏が長野県大町に行った時に雪解けの風景に感銘を受けて作られたといいます。
雪の穂高から流れてくる清冽な梓川は誰もを虜にするほど魅力的です。心洗われない人はいないのではと思わせます。
私が小学校六年生だった頃、信州大学に進んだ隣のお兄ちゃんから信州のハガキセットをもらったことがありました。その頃は倒木と朽木の枯れた林が梓川に林立して、その向こうに雪の穂高が遠く見えるという幻想的な風景でした。
行ったこともない上高地の絵葉書の写真を真似て卒業文集の表紙を描いたことも懐かしい思い出です。
その後、上高地を訪ねたときには、あの幻想的なムードはなくなっていたように記憶しています。梓川沿いに明神小屋まで歩いて、ランプの灯りで過ごした一晩は今の人にちょっと誇れるかもと胸の内でよっしゃ!しています。