こころあそびの記

日常に小さな感動を

七十二候「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」

 

 ボケの実が寒風に晒されて萎んでいます。そういえば、万博公園で見たことあるなぁ。もう、あれから、一年。

 四季の巡りははやいものです。

 

 

 今日から七十二候の次候「黄鶯睍睆」(うぐいすなく)です。

 

 古代の太陰暦では、現実と四季の周期にズレが出て、農耕に不便でした。そこで、二十四節気を考案しました。

 それは、一太陽年を二十四に分けて、約15日どこに、それぞれの節季に特徴的な気候の様子を配するものです。 それによって、毎年同じ季節に同じ節気が暦に記載され、農作業を行うのに大変便利になったといいます。

 

 そして、より身近にするため、二十四節気の一つずつをさらに3つに分けて、五日ごとの七十二候をつくりました。 いわば、時候告知版というものです。

 その発祥は紀元前の中国にあります。

 しかし、わが国と中国大陸では季節推移や風習が合わないために、その後、江戸時代に日本に合うものに作成し直されて、今に至っています。

 ただし、日本の国土は南北に長いため、暦といっても、一通りではありません。幾度となく工夫が加えられました。

 

 

 冒頭に上げた「黄鶯睍睆」だけではなく、「蟄虫始振」(ちっちゅうはじめてふるう)(これは中国暦の踏襲)、「梅花乃芳」(うめのはなかんばし)、「春風温和」(しゅんぷうおんわなり)など、身の回りを注意深く観察した形跡があります。

 鶯も、虫も、梅も、春風も、春といえば連想できるワードです。

 

 

 生活の中で、何を基準に季節の巡りを感じたらよいのか。ただ、寒い暑いだけでなく、誰でも分かるように身の回りのものに託して二十四節季、七十二候を作った先人の知恵。

 それらは、現代も、ほぼずれることなく使えます。あるいは、現代人が忘れている感覚を思い出させるものでもあります。ですから、これからも生き残って欲しい遺産です。

 

 

 さて、昨日の暖かさはどこへやら。今日は、朝から震え上がるような北風が吹いています。  

 立秋の後の暑さを残暑というように、立春のあとにやってくる寒さは「余寒」といいます。

 

 少し長くなりますが、今月号の致知に鈴木秀子さんが取り上げられていた内村鑑三の『二月中旬』を写しておきます。

 

 「 雪は降りつつある。

    然し春は来りつつある。

    寒さは強くある。

    然し春は来たりつつある。

 

    風はまだ寒くある。

    土はまだ堅く凍る。

    青きは未だ野を飾らない。

    清きは未だ空に響かない。

    冬は未だ我等を去らない。

    彼の威力は今尚我等を圧する。

 

    然れど日はやや長くなった。

    温かき風は時には来る。

    芹は泉のほとりに生えて、

    魚は時々巣を出て遊ぶ。

    冬の威力はすでに挫けた。

    春の到来は遠くはない。 」