こころあそびの記

日常に小さな感動を

桜が教えてくれること

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 「   春の寺     室生犀星作 
   うつくしきみ寺なり
   み寺にさくられうらんたれば
   うぐひすしたたり
   さくら樹にすずめら交(さか)り
   かんかんと鐘鳴りてすずろなり
   かんかんと鐘鳴りてさかんなれば
   をとめらひそやかに
   ちちははのなすことをして遊ぶなり
   門もくれない炎炎と
   うつくしき春のみ寺なり」
 
 桜がどこも満開になってや、メジロや、すずめが楽しそうに群れています。
 道行く人々までもが華やいで見えます。
 「今年も桜が咲いてくれた」という投稿がありました。こんな年だから、余計に、ありがとう。よく咲いてくれた。私を喜ばしてくれた。という気持ちが伝わってきます。
 でも、桜は自然の規則通りに咲いただけで、人間側の事情など推し量ってはいないかもしれません。
 なのに人の側にとっては何かを囁いてくれるように感じるのは、実は我が心の投影なのです。
 「さまざまの事おもひ出す桜かな  芭蕉
 例え、友人と一緒に花見に行ったとしても、友達と私は違う桜を見ています。
 それが、自然を楽しむということなのだと思います。自由に解き放たれていることを体の奥深いところが喜んでいるはずです。
 健康に過ごす鍵は人それぞれに一家言お持ちでしょう。ある人は薬を飲んでるから元気でいられると思っているし、またある人はスポーツジム通いでキープしているという方もあるでしょう。
 それはそれとして、もっと深いのに平素忘れているものに、私たちが自然の一員であることの意識です。
 誰に命じられたのでもないのに桜がいのちを循環させているように、人間のいのちも朝、昼、夜と休むことなく巡っています。
 それは、例え病んでいようと、そんなことを気にもかけず動かし続けてくれているから、私たちは今日も生きています。
 桜が教えてくれていることを素直に受け入れることが難しい時代ではありますが、もし、いのちの根っこの確かさに少しでも気づいたなら、生き方も変わってくるように思います。もれなく安心というおまけ付きで。