最近、蝶が乱舞する姿と遭遇する事が多くなりました。カメラを花に向けたら、飛び込みで写るほどです。
そういえば、娘の菜園でも、キャベツの葉っぱの上にぎっしり卵が産みつけられています。この子たちも、もうすぐ紋白蝶となって飛び回わることでしょう。
人間が自粛している間も、自然はいつも通りに循環しています。邪魔する人間がいなくて、自然の虫も鳥もいつもより元気そうに見えるのは気のせいでしょうか。
蝶や蛾にとっては、この季節は蛹から蝶への変身の大切な時期です。
『荊楚歳時記』の旧暦五月に「八蚕繭」という項があって、「蚕八熟す」とあります。「三月、四月初め、五月、六月末、七月末、九月初め、十月」にそれぞれ紡ぐ蚕の種類があると書かれています。中国南方からベトナムなどが養蚕に適した場所だったようです。
中国で紀元前六千年から行われていた養蚕は、シルクロードを経由してエジプト、中近東に広まりました。
日本にも弥生時代に伝来。その後、主力産業になったこともありました。2014年に世界遺産に登録された「富岡製糸工場」はそのことを語り継いでいます。
私が子供の頃は、訪米土産といえばシルクでした。私の宝箱にも、父が土産に使った残りのスカーフが長い間入っていました。真っ白のスカーフに京舞妓さんの後ろ姿が書いてありました。柔らかな感触とボテッとした重量感は、化学繊維にはないものでした。
世界に誇ることのできた日本の文化的財産も今や風前の灯火となっています。そんな中で、皇室では、皇后陛下の御手で養蚕が続けられています。
昨日は、雅子皇后陛下が「初繭掻」をされたと報じられていました。今年、初めての繭の収穫作業を指すそうです。
どうして、そんなことを大切に守り通さねばならないのかと訝る方もおられることでしょう。
しかし、『荊楚歳時記』を著わした宗懍が身を削っても年中行事を書き残したのは、自然観、宗教観は生活の中に凝集されていると信じたからにほかなりません。
国のかたちの基盤は生活にあるということです。
大方の民衆が稲作と養蚕で生活した時代を後世に伝えるというお役目が、養蚕を皇室で続ける何よりの理由ではないかと思われます。
蚕という字は、「天+虫」です。この虫が吐き出す糸に、古代の人がどれほどの敬意と驚きを持ったのかが窺い知れます。
そして、繭という字は「桑の葉の形+糸+虫」で桑の葉に蚕が繭を作るさまを表していると『説文解字』に書かれています。一度覚えたら忘れられないかわいい文字です。
唱歌「赤とんぼ」に「山の畑の桑の実を~♪」と出てきます。ちょうど、今頃が収穫時期です。早く小籠に摘みに行ける日が来ますように。
実は、我が家も古地図を見れば、桑畑だったようです。桑と蚕を身近に思うようになったのはそのせいかもしれません。