たんぽぽとお話ししている女の子の絵です。
「きのうは、ねんねしてたの?」
「雨がふったからね、ねてたのよ」
「そうなんだ 雨の日はおやすみするの?」
「おひさまのこどもだからね」
”たんぽぽは たんぽぽは お日さまの子どもです♪“
という歌をご存知でしょうか?私が子どもの頃にはなかった歌です。私の子ども達が幼稚園で習ってきて、歌詞が気に入ってよく歌いました。
たんぽぽという花は幼い頃の記憶のどこかに必ずある花です。この絵の中にピタッとおさまる花は“たんぽぽ”しかありません。黄色くて、朝夕に開いたり閉じたりして、いつか綿毛になってどこかに飛んでいきます。思わず摘みたくなるし、綿毛になったらフーと吹きたくなります。
この絵を描かれたのは大形徹先生のお母様です。
制作されたのは子育てが終わられてからと伺いました。ひょっとしたら、解放された心に一番に浮かんだ景色だったのでしょうか。
この構図を考えられるのは、子どもの心をご自身の中にずっとお持ちでいらっしゃる方だけだと思います。優しくて柔らかいお心が窺えます。女の子とたんぽぽのお話しを、鴨さんが後ろで聞いているという配置にかわいい配慮を感じます。
そして、大形先生がお持ちのふわっとした雰囲気に似通っていませんか。
優しさの対極にあった私の母は、人は同じだけの幸せを持って生まれてくると、十本の指を広げてよく話していました。子供が僻まないように言っていたのでしょう。それを早くに使うか、ずっと後に使うかはその人の運命と諭しながら、結局、自分は過酷な環境に翻弄されてその宝を使わずじまいで、本来の自分を見せないままに逝ってしまいました。
激情型の母でした。それでも、こうやって懐かしく思い出すのは、子ども独特の母親贔屓なのでしょうが、この世では見せることの少なかった本当の姿を子どもは垣間見ていたのです。
そんな経験があるから、私はたとえ見えづらくなっていても、人の善性は揺るがないと信じています。
先生のお母様の絵は、誰の心にもある穏やかな日々を思い出させてくれます。嵐ばっかりで、こんな優しさを経験したことないように思っている人も、じっと見ていると、ふと自分の中にもあるように思えてきませんか。
その童心は心をニュートラルに戻してくれます。
そういう気持ちが、今日もがんばろうという力になるように思います。
昨夜、遺伝子操作の時代が近いと放映されていました。そんな未来に生まれてくるデザイナーベービーにも、この心温まる情景を良しとする記憶は残し続けてほしいと切に願います。それが、人間の人間たる理由だと思うからです。