こころあそびの記

日常に小さな感動を

隠せないもの

 

 昨夕、日没後の空が見たくて、散歩に出ましたら、衰えた光の中で、こんな蛍光紫色の花がドーンと咲いていました。

 キク科アンティチョーク属のカルドンというみたい。

 朝鮮薊の原種らしくて、アンティチョークとよく似てます。

 どちらも食べられるそうですが、食べたことのない私にとっては、この先も見るだけに終わるかもしれません。

 

 

 昨日に続いて、虫さんのお話です。

 福岡に行ってきた娘が、大宰府天満宮の手水舎に紫陽花が水に浮かべてあったのが、ことのほか美しく涼やかだったから真似したいと云います。

 朝露を浴びた紫陽花を切って、透明ボールに浮かべましたら、なるほど、きれい。

 と、しばらくしたら、写真にある白くて見たこともない虫が這い上がってきて大騒ぎです。しかも、この子たちはぴょんと跳ぶのです。

 調べてみたら、ハゴロモムシの幼虫のようです。素人二人の推定ですから正解の自信はありません。

 

 

 今日、授業の合間に、大形先生にお尋ねしてみました。

 「先生、ハゴロモムシってご存知ですか?」

 「もちろん知ってますよ。かわいいじゃないですか」

 「ええっ、先生、虫がお好きですか?」

 「嫌いですか?僕は小さいとき、虫と遊んでましたよ」

 と、ハゴロモムシが成虫になった姿をスクリーンに映し出してくださいました。

 「かわいくないですか?」

 

 虫であろうと、魚であろうと、すべてを受け入れる包容力が、今日の先生を作り上げたことに、あらためて思いを致しました。

 お母様から、勉強の「ベ」の字も言われたことがないと聞いています。大きくて、子育て上手なお母様だったようです。

 ついでに云うと、先生は生まれてこの方、一度もノートをとったことないそうです。

 ノートにメモってもメモっても、全然覚えられない私とは大違い。

 天才は確かにいることを思い知っては凹む私です。

 

 

 閑話休題。にこにこして、突堤で魚を釣り、裏山で虫取りに明け暮れた少年は、中国哲学に分け入ることになります。

 ちなみに、今日の講義は「魂」であり、「玉」でありました。

 先生の授業を聞いていると、机上で論理を弄ぶという論法ではないことが分かります。

 遊んでなければ、思いつかないだろうという観点が、先生の強みです。

 出たぁ、とクスッとする楽しさがあります。

 

 

 学者だけではなく、画家も同じであることを昨日の『日曜美術館』で知りました。

 昨日は、「マティス」でした。

 私の絵の先生であるM先生が大好きな画家さんです。これは、観ておかなくてはと、がんばってみましたが、色以外の良し悪しが不明です。

 ただ、お写真に写る晩年のお顔が印象に残りました。

 どんな人かは顔に書いてあると言います。

 好みとは別次元で、いい人生送られたなぁというお顔は見ていて清々しいものです。

 そんな顔になるために、自然に馴染む日々を送りたいと思っています。

 自然をこよなく愛したマティスのように。