通りすがりに、塀からはみ出している赤い実を見つけました。
実山椒が熟したところを初めて見ました。
潰したら、山椒の香りがするのかな?
大形先生のお母様の描かれた作品です。
「勉強しなさい!」なんて、ひとことも言わずに子育てをされたと聞いています。
それは、先生とお母様との約束事であって、世の多くの母親は、角を生やして、子どもを追い立てて、なんとか一日を過ごすものだと思っています。
バタバタと3人の子どもと格闘していた頃、先輩ママから、「母親の仕事は飯炊き女に徹すること」と、諭されたことがありました。
今になってみたら、それは至言だったと思います。
でも、子育てとはご飯を用意してやることに尽きると言えるのは、子育てが終わった人の余裕の目線。
当事者は、なんとか一人前になってもらわねばと必死です。そんなこと、子どもたちは覚えているかしら。
田中大輔くんが「ママに会いたくて生まれてきたんだよ」と、詩に書いたように、親子は不思議な縁で結ばれています。
たとえ、隣のママがどんなに優しくても美人でも、大輔君のママは一人だけです。会いたくてたまらなかったママなのです。
今朝の朝刊に「夏休みの宿題」と題するエッセイが投稿されていました。
「夏休みの友」「工作」「読書感想文」は私たちの子供の頃の定番でした。
その後、「自由研究」、「ラジオ体操」、「プール」、「お手伝い」など、際限なく増え続けた宿題が、近年、ガタッと減って「夏休みドリル」一冊とかになったそうです。
夏休みにしかできないことをするように、という先生方の思惑が生かせたらいいですね。
家族で一緒に過ごした記憶は、ずっと後まで残ります。
そして、その意味まで分かるのは、それよりずっと先のことではないでしょうか。
どこかに行ったとか過ごしたという思い出の裏側に、本当に知りたい意味が隠れています。
記憶の彼方から、引っ張り出してそれを懐かしむようになるまでには、どれほど生きればよいでしょう。
それでも、確実に言えることは、親子の出会いに間違いはないということです。
不思議な縁で繋がった親だから、伝えられるものがある。そして、そのような伝達を指示した誰かがいると考えると、時間枠を飛び越えて壮大な計画まで思い至ります。
そう思うのは、私ほど親に悩んだ人間であっても、父母が亡くなって十年以上経って、ようやく、彼らと過ごした日々に温かみを感じるようになってきたからです。氷を溶かしたのは格闘した時間でありました。
三好達治さんの『乳母車』の最後の連にあります。
「 淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
私は知っている
この道は遠く遠くはてしない道 」