こころあそびの記

日常に小さな感動を

よくばらない

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 市が貸し出している家庭菜園の区画の柵を出たところに、こんな花(写真)が咲いていました。
 ジャガイモの花に似ています。どなたかが落とされた種芋から発芽したのでしょうか。「こっち向いて、写真撮って」と自己主張しているようでした。
 仲間からはぐれてしまったけれど、独りで頑張ったことは私が証人です。その一生を健気に終えていくばかりのジャガイモに見習いたいところを感じます。

 
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 一方で、人間のいのちはあまりに雑多な情報でかき回されるため、どうしたらよいかと生き様に迷いが出ているように見えます。
 生まれて、精一杯生きて、死を迎えるというシンプルな道筋のはずが、新しい脇道に気移りして邪魔されているように思えることが多くなってきました。
 情報というものは、いつどんなときも、そのグループ独自の情報として発信されているということに留意しなくてはなりません。厚生省、医師会、製薬会社それぞれの思惑があっての情報です。
 例えば、コロナ禍の状況において、感染学者なら「家に居て感染リスクを避けましょう」と言い、精神学者なら「家にじっとしていては気が滅入りますよ」と言う。
整形の先生なら「動かないと足腰が弱ります」とおっしゃることでしょう。
 情報に振り回されないためには、情報にはリスクとベネフィットが付き物であることを忘れてはなりません。
 例えば、血圧を下げる薬は、血圧は下げるけれど、川の水が少なくなると石が流れなくなるということに似て血管を詰まらせるかもしれないというリスクもあります。
 情報に惑わされないでおこうと思うなら、自分にベースを持たなくてはなりません。
 いのちに対する自分の考え方をしっかり持つことです。私なら「親からもらったいのちを全うできたら、それで良い。それが一番しあわせだ」と思っています。それ以上に望むことはないから、情報に右往左往することもありません。
 
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 コロナ禍にあって、3人の先生のうち2人がおっしゃった“動く”という解決策。
 84歳の女性が来店されまして、しばらくお話させていただきました。
 「どうされていますか?」
 「あちこち痛いのがかないませんけど、毎日ぼちぼち散歩してます」
 「それは、なによりです」
 「しんどくなったら休み休みですけど、たまに出会った人と腰掛けて話したりします」
 「楽しそうですね」
 「帰ったら、結婚してない息子のご飯を作らなあきません」
 「お料理することほどの能トレはありませんよ」

 散歩は最高の養生法です。万歩計で歩くのではなく、季節を感じましょう。空や雲の様子、足下に見る発見、小鳥の囀りなど、心動かすことが散歩の効用です。身体を動かしながら、心をマッサージする。一石二鳥の養生です。
 
 最後に、ワクチンも服薬も個人の自由です。全ての取捨選択はご自分に託された特権です。