藪椿の実が雨に濡れて光っていました。
それを見つけたことがうれしくて、心が潤う朝でした。
散歩に出かけるとき、さぁ今日はどこへ行こうかなと一瞬よぎるのですが、気の向く方角が今日のコースです。
東に行けば千里川沿いに歩けます。
西に歩けば、阪大構内に若人の躍動を感じられます。
南に行けば、春日神社の境内のお薬師如来にお目にかかれます。
北に坂道を上れば、大阪市内のビル群や生駒山が見渡せます。
自分の足で歩けることは幸せなことです。一時は、膝を悪くして、もう散歩はできないのではないかと諦めかけたこともありました。
そんな経験をしたから、患者さんを励ます言葉に力がこもります。必ず、自分の体が治してくれますよ、と。
無理をしないで、怠けさせないで、この先も歩き続けたいと思っています。
ところで、今朝の朝刊から中西進先生と万葉集をたどる旅が掲載されています。
本箱からはみ出して、長らく私の方を見ている薄っぺらい文庫本がありまして、ずっと気にはなっていたのです。ごめんなさい。それが中西進先生の「ひらがなでよめばわかる日本語」でした。
“紙と神”といったように同音異義語が多くあるのは、元々日本で使われていた発音に、漢字を当てたためであって、そのことが、本来の意味を分かりにくくしているといわれています。
例えば「ひ」がもつ意味。
天上の太陽は”日“、地上を照らす火を“火”と漢字に置き換えました。でも、「ひ」のもつ意味は太陽であり、燃える火でありますから、”ひ“のつくことばはこれらを包合わせて持っていることになります。
東(ひがし)に散歩に行こうかなと思う日は、太陽に向かうわけですから、元気のある日なのかもしれません。
反対に、西に足が向く日は、心温めたい日といえるかもしれません。
堀口大学の詩、
「夕ぐれの時はよい時、限りなくやさしいひと時。
それは季節にかかわらぬ、
冬なれば暖炉のかたわら、夏なれば大樹の木かげ、
それはいつも神秘に満ち、それはいつも人の心さそふ、
それは人の心がときにしばしば、
静寂を愛することを、知っているもののように、
小声にささやき、小声にかたる、
夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時・・・」
落日の美しさは、人々にねぎらいを与えます。
誰もが安らぎたいと願う西方にあるお浄土です。