甲子園球場の夏の高校野球。昨日、2時間待機したあげくノーゲームになったチームが、今日は朝からまた待たされて気の毒に思いました。
大阪上空は晴れていたのに甲子園は怪しかったのですね。どうか、この先、順調にゲームができますようにと念じるばかりでいます。
安定しないお天気が続きますが、雲の姿はあっちをみてもこっちをみても美しくて、せめて写真に収めてお見せしたくても、刻々と変化を遂げる雲の変貌は、出会ったときに眺めてもらうしかありません。
雲という言葉は「空に水を酌み上げなければ雨は降らない」というところから生まれたそうです。
空にある水はそんなに多くなくて、地上の水を1とすると、大気中には0.001%、そしてその数分の1が雲として存在しているようです。
ええっ?そんなのおかしいよ。先日から降り続いている量はそれどころではないのでは。とおっしゃる方もおありでしょう。
雨になる水は常に空にあるわけではありません。なくなれば汲み上げるというシステムで、水は循環しています。
汲み上げる力が異常に強くなるのは、やはり温暖化の影響が否めないのではないでしょうか。気温が高ければ、それだけ蒸発するスピードも早くなるのではと浅知恵の素人は考えます。
さて、このように、空気を動かし、水の姿を変えているものは何でしょう。言うまでもなく、太陽がこの循環を支配しているのです。
五行論の5つの元素は、空の一番高いところに「太陽」、大気中に「雲」、大地に「木」、大地が「土」、その中に「水」があり「金」があります。
つまり、雲は天と大地の間を循環しているもの。身体では「肺」を指します。
「肺」が体の水まきをしているとは信じがたいでしょう。それはまた、いつか。
私が物心ついたころの気象予報士といえは、倉嶋厚さんでした。その博学知識にいつも助けられています。
「春雲はうたの如く(浮かんでいる)
夏雲は岩の如く(湧き立つ)
秋雲は砂の如く(流れている)
冬雲は鉛の如し(垂れ込めている)」正岡子規
時代が変わっても、空は変わらない。人間の本質も変わっていない。
そんなことを教えてくれる自然は最高の友達です。