あぁ、秋色は、夕焼け色に代表されるものなんだと、この二十四節気の写真を見て思いました。
「夏はまだ終わっていないのに、突然秋がやってきた」。
そんな秋を、身の回りで感じるのは、どんな時ですか?
台風の暴風のせいなのか、熱暑のせいなのか、道端に蝉の亡き骸が転がっているのを目にするようになりました。
くたばりました、というのもあれば、今にも飛び立てそうに美しいものもあります。
日本の夏が、今より暑くなったら彼らはどうするのでしょう。熱を冷ます機能を身につけるのか、熱を受容できる体にするのか。
夏の形が変わる時が来るのでしょうか。
馬鹿と煙はなんとかと申しますが、私は高いところが好きです。
できることなら高いお山に登ってみたいです。そんなところで、なにをしたいかといいますと、ひとえに空を仰ぎたいだけです。
空の青さを知りたかったら、高い山に登ってみること。なんて聞きにつけ、その思いを募らせるのです。
全天にひらける空を見てみたい。そして、その青さを眺めて深呼吸してみたい。
テレビの登山番組を観ながら、近場の高台で、かなわぬ夢を果たしています。
台風の影響でしょう。高台に上ると、丸く渦巻いた雲に手が届きそうでした。
本体からこんなに離れた大阪にも影響を及ぼす台風という壮大な仕組みは、科学的理論の後付けはできるとしても、一から創造したのは神業としか思えません。
それは、熱気と涼気の綱引きです。そして、その大宇宙の観察を人間の体の中の現象に当てはめて小宇宙と考えた先人は凄くないですか。
上に火(心臓)、下に水(腎臓)。
普段はゆるやかに熱移動するので意識しませんが、一旦、発病したら大移動を始めて体の均衡を保とうとします。
夏の太陽が照りつける熱邪で大気が大騒ぎするのと、コロナという病邪で体じゅうに血潮が駆け巡るというのは、どこか似ています。
そういう風に考えると、東洋医学はぐっと身近に感じられるように思います。
きのうまで、水平線には入道雲が湧いていたのに、それがいつの間にか消えて、絹雲が浮かぶようになる。それが、立秋の便りだといわれます。
季節に線引きはありませんから、即日決行というのではありませんが。
立秋や雲の上ゆく雲とほく
雲が教えてくれる季節の話は、想像を豊かにしてくれます。
立秋や納戸に捜る葛根湯
立秋を過ぎると、空気が入れ替わります。あれっ、冷えたかな?と体調の変化を感じる朝がやってきます。
物理学者、寺田寅彦は、さすがです。葛根湯を探したなんて。
この方の目の付け所が好きです。
足音は聞こえませんけど、立秋からは秋が駆け足に変わります。
葛根湯の準備はよろしいですか。