こころあそびの記

日常に小さな感動を

悲しすぎる決断

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 朝の庭で蝉が囁き合っていました。本当なんです。歩を進めた私に驚いたように、木の下の叢で集く秋の虫の声に主役を譲る時が来たとばかりに、ひんやりした空気の中に数匹飛んでいきました。
 炎暑のときは、長雨の間に過ぎていきました。
 今朝はもう秋の趣です。

 家人が、朝から何やら忙しなくメールを交換しています。聞けば、孫のクラブ活動で、お弁当持ちの遠征を実行するか否かの問い合わせをしているようです。
 指導教員は五十歳。ノリノリで燃え燃えの熱血漢です。自分が理想とするクラブ活動をしたい。その気持ちはありがたいことです。
 しかし、この時期の先生の甘い判断が危険を孕むことも考えておかねばなりません。難しいことと拝察します。

 朝刊に『コロナ患者』という社説が「悪意から守り抜く覚悟を」という副題で掲載されていたので、知らなかった事実を知りました。
 コロナ感染者が出たから出場を辞退すると発表した高校の、その辞退理由です。
 校長先生の「出場すれば感染者の特定につながる恐れがあり、選手の将来に影響を及ぼす可能性がある」という言葉は、人間ってそんなに悲しいものなのかと情けなくなりました。
 甲子園に行くという夢を叶えたことに、悔しさから怨念をつのらせる人。
 コロナに感染したことで、輪をかけて追い討ちをかける人。
 SNSという媒体があること。
 人が困っているときに更に悪意に満ちた言葉をふっかけようとする浅ましさは誰に教わったのでしょう。
 コロナに限らずどんな病気も、あなたも私も誰もが罹る可能性があるのです。選手だけめがけて感染がすすむものではありません。
 明日、もし自分が感染者になったらとは考えが及ばないのは、ちょっと幼稚です。
 窮地に陥ったときに、かけて欲しい言葉や行動は人によって違うでしょう。それでも、誹謗中傷は絶対にないことです。しかも、将来に渡って責め続けるとはどういう性分ですか。
 コロナが教えるものは、人の善性であってほしい。
 戦う医療従事者であったり、みんなでうつさない努力をしあったりする中で、人間の持つ強さと優しさを見直す機会を与えてくれていると思っています。
 長い自粛生活で鬱憤がたまっているということも聞きます。だからといって、他人にぶつけるのは止めていただきたいと心底お願いします。