こころあそびの記

日常に小さな感動を

お世話がいのちの泉なり

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 あぁ今日も雨かと新聞を広げて、まぁコーヒーは美味しく淹れられたかなと自己満足して、そぼ降る雨の庭を眺めました。
 なにやら、キンモクセイの中で動くものがあって、木が揺れています。チッチッと聞き覚えのある鳴き声です。それも小さな声です。
 飛んできた鳥は、まさかと思ったその小鳥でした。
 テラスに置いた椅子に止まって、私と目が合いました。声が聞き分けられるようになったばかりの四十雀です。
 日本野鳥の会の無料冊子に説明があるとおり、胸にネクタイを締めたハイカラな装いの小鳥です。
 こんなに近くまで来てくれるなら、水飲み場を作っておけばよかったと無念でした。

 自粛生活が長引きペットを飼う人が増えていると聞きます。手がかからないという理由で小鳥も人気のようです。
 同僚の一人に、鳥屋さんで目が会うたびに欲しくなって、次々飼って、四羽になってしまったと嬉しそうに報告する人がいます。手乗り文鳥二羽、オカメインコ一羽。もう一羽の名前は難しくて忘れました。
 何かの世話をすることは、自分のいのちを生かすことにつながります。
 後藤新平翁がボーイスカウトの結団にあたって、自治三訣として発表された言葉は、若い人だけではなく、すべての人の心得ではないかと思います。
 自分を治めるために。
 「人のお世話にならぬよう 
  人のお世話をするよう
  そして むくいをもとめぬよう」
 世話をする対象がなにであっても、世話ができることが素晴らしいことなのだと、薬局に来られた方にお話します。
 たまに、お母さんが定年間近の息子さんのお世話をなさっている方とお話する事があります。
 八十歳代も後半になれば、お疲れも想像できます。それでも、皆さんお元気なのです。
 そんな老女の活力源はお世話することにあると感じています。
 自粛生活でともすれば心が固まりそうになるところ、何かのお世話をすることは、どんな薬よりよく効く免疫力向上の薬です。
 私たちは動物ですから、動き回る、働くようにできています。動ける間は動くことが健康に生きるコツであります。
 そして、お世話させてもらっていると混ざり心なく思える日が来たら卒業できるかもしれません。そんな保証はないけれど、毎日の張り合いは台所からです。
 さあ、今日はなに作ろうかな?