こころあそびの記

日常に小さな感動を

孫と婆

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 明日、一歳の誕生日を迎えるというのにコロナ禍の自粛のために、一度も会ったことがない孫に会いに行くことにしました。

 新大阪駅のコンコースで泣き叫ぶ子どもを抱きしめて、なんとか泣きやませようと頑張る若いパパをみかけました。近くに小さな靴が散乱していたから、多分、この子は歩きたい。でも、危ないからバギーに乗ってほしいパパ。親子はそんな格闘をしている最中でした。
 子育ては思うようにはいかない現実と向き合う覚悟がいります。それが、自分を育ててくれたと分かる日はずっと先に待っていることでしょう。
 
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 自分にもそんな日があったことを思い出しながらホームに上がったら、おばあちゃんと孫のお別れシーンに遭遇しました。
 見送りにきたおばあちゃんが、娘と孫たちの席まで乗り込んで別れを惜しんでいると、ついに発車ベルが鳴りだしました。おばあちゃんが降りて行った途端に、兄貴の方の男の子が泣き出しました。
 窓越しに笑顔で手を振るおばあちゃんを見ながら泣き声は大きくなる一方です。仕方なくお母さんが弟を抱っこして、泣いてるお兄ちゃんをドアまで連れて行って、最後のお別れをさせました。
 それでも、泣きやむことはありません。
 「バーバのお家に行く」とききません。
 泣き声は京都を過ぎても止みませんでした。その後、泣き疲れて寝入ったのか、「バーバ」と寝言が聞こえるようになって、やっと車内は静かになりました。
 おばあちゃんとは不思議な存在です。たまにしか会わないのに、子ども心を掴みます。お母さんが気を許しているのが子供心に伝わるからなのでしょうか。

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 それで、名古屋に着いた私。
 約束時間より少し早く着いたので、熱田神宮の中をくまなくお参りできました。
 着飾った七五三の親子が、境内の厳かな雰囲気を和らげていたように感じました。
 そして、再会の時が来ました。
 私を見つけた上の孫が走って来てくれました。
 たった一時間ほどの逢瀬でしたが、「婆の家に行く」と連呼して、別れる時にはちゃんと泣いてくれました。
 外孫はいつも一緒でないから、会ったときに思いが凝縮されるのでしょうか。
 内孫は一緒に居ることに慣れているから、こんなに思いは深くならないのか、あるいは、もっと異質な感情が形成されるのかもしれません。
 とりあえず、今日のところは泣いてもらえた婆でした。