こころあそびの記

日常に小さな感動を

あたりまえと思い出したら・・

 

 昨日はお祭りの夜でした。

 淀川の花火大会は四年ぶりの開催。朝刊(産経)に掲載された写真はさすがにプロが撮られたものでした。

 四年ぶりといえば、わが町のお祭りも昨夜、今夜と開かれます。昨夕、どんなかと見に行ってみましたら、人、人、人、で大変な賑わいでした。

 みんな待っていたのです。コロナ開けを。

 小さい子たちが甚平や浴衣を着せてもらって、親に手を引かれていく様子は、いつ見ても希望を感じます。どうか、この平和が続きますように。

 

 

 かわいい形。

 アベマキの赤ちゃんらしいです。

 ドングリになるには二年かかるそうですが、それまでに落ちてしまったのでしょうか。

 この造形美にそそられる人は多いようですから、拾った場所は秘密にしておきますね。

 

 

 子どもの気づきは、自分の頭がいかに堅くなってしまっているかを教えてくれる気がします。だから、この番組をたまに聴いて頭と心をマッサージしています。

 

 先日も、田中修先生のあの語り口をひさしぶりに聴いて楽しませてもらいました。

 質問者は小学校六年生の男の子。

 「おじいちゃんの家で、柿の種を植えました。今、五年目です。まだ、実がなりません。おじいちゃんは接ぎ木をしないと生らないといいます。どうしたらいいですか。」

 庭で、彼がおじいちゃんとお話している場面にほんわかとしたしあわせを感じたことです。

 田中先生のお答えの中に「タバコ」が出てきました。普通、同じ科の種類を接ぎ木するのですが、タバコは種を超えることができるそうです。

 たとえば、菊の台木にタバコを接ぎ木して、その上にトマトを接ぎ木することが可能な植物がタバコだというのです。

 タバコの持つ麻痺作用と関係あるのかないのか。

 自然の神秘の扉は一体いくつあるのでしょう。

 無限に準備しているのは、人間が生きることに飽きないようにするためなのかもしれません。

 

 

 だれしも大人になると、忙しくて疑問を感じる暇がなくなります。そして、知らず知らずに心が柔軟さをなくします。

 しかし、その柔らかさをなくさなかったから詩人であり続けられた人。それが金子みすずです。

 

 「  ふしぎ

  わたしはふしぎでたまらない、

  黒い雲からふる雨が、

  銀にひかっていることが。

 

  わたしはふしぎでたまらない、

  青いくわの葉たべている、

  かいこが白くなることが。

 

  わたしはふしぎでたまらない。

  だれもいじらぬ夕顔が、

  ひとりでぱらりと開くのが。

 

  わたしはふしぎでたまらない。

  だれにきいてもわらってて、

  あたりまえだ、ということが 」