こころあそびの記

日常に小さな感動を

ごちゃ混ぜ教育が教えてくれたもの

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 今朝の「おはパソ」の話題はモンテッソーリ教育でした。なんでも、今をときめく藤井聡太さんを育てた教育法として、世間の親から注目を集めているそうです。
 モンテッソーリ女史は、イタリア生まれ。医学を学ぶ過程で、知的障害児や貧困家庭の子供たちの生育を応援する事を人生の目標にしたようです。
 その教育目的は「自立していて有能で責任感と他人への思いやりがあり生涯学び続ける姿勢をもった人間を育てる」とあります。
 それは、すべての人間がこうありたいという願いと同じです。
 どの子供も、ひいてはどんな大人も、自分を自分で育てることができる無限の可能性を持つことを信じておられた方なのだと思いました。

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 今は、一昔前に比べて整理整頓し過ぎる環境です。家の中や公共施設だけでなく、気になるのは、子供たちの学校環境です。
 昔はごちゃ混ぜでした。
 このような話になると、いつも思い出すのは、木下妙子さんのことです。貧困と障害を併せ持っていました。
 生まれつき足が曲がっていた上に、お顔にも障害がありました。小学一年生で机を並べることになってから卒業するまで同じクラスでした。
 長い間、ケンケンして通学していましたが、高学年になったとき、さすがに先生も見かねて助言されたのか、松葉杖を使い始めました。
 六年生になると、身体も大きくなって、松葉杖をつきながら荷物を持つことは厳しい状況になりました。そんな彼女の登下校をクラスメートが交代で助けたことをはっきりと覚えています。
 彼女が今、どうしているのか。忘れることのできない小学校一番の記憶です。一緒に過ごせたことは、確実に私の心を育ててくれたと感じます。優しい言葉もかけずじまいでしたが、同じ空間に居たことが学びだったのです。世間狭く養育されていた私に、他人を見る目を開かせてくれたのが彼女でした。

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 だからというわけではありませんが、今はあまりに分けすぎて子供の教育の機会を奪ってはいないかと気になるところです。子供の教育は国語算数理科社会よりも、もっと大切なことがあるように思います。
 自分と違う人がいることを知ることは、寛容を学ぶチャンスです。
 一直線もいいけれど、脇道を分け入る勇気と好奇心も育てたいところです。

 モンテッソーリ女史の墓銘碑には、「愛する全能の子らよ 人類と世界平和のために私と力を合わせよう」と刻まれているそうです。
 彼女の意思が花開くには、どうすればよいか。すべての大人が考えるべき時です。仕分けでも、技術でもない大切なもの。