こころあそびの記

日常に小さな感動を

魂の陶冶

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 産経抄に「サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ~」という植木等さんの“ドント節”が取り上げられていました。
 戦後の高度経済成長期の世相を反映したお気楽ソングです。ホワイトカラーが憧れの的となり、生活の安定には、大学を出てサラリーマンになることが一番の近道とされていた時代です。
 それより少し後、私がお腹の子供の定期検診に行く道すがら、タクシーの運転手さんにこう言われたことがあります。
 「ご主人、なにしてはるの?」
 「サラリーマンですけど」
 「よろしいなぁ。一番よろしいなぁ」
 のんき者の私が、毎月定額がいただけるのはありがたいことなのだということに初めて気づかせてもらった出来事でした。
 産経抄は続けて近頃の若者へのアンケート結果に触れています。何になりたいかという問いに、会社員が男女共一番であることを、喜ぶべきかどうか迷って終わっています。
 スーツを着て、傍目に美しく、リモートワークでさほど動かずに働く姿に単純に憧れを持つことに疑問と心配を持つのは、当然の親心です。
 
 気楽な家業が皆無なこの時代。
 若者がこの世で学ぶことは、何でしょう。
 終身雇用制はなくなり、常に実力を溜め込むために自己陶冶が必要です。
 それは、生きることの意味をを深く考えることに繋がります。不思議なことに、同じものを見ても得られる結果は一人一人違っているところが妙です。そこに各人の目標が定められているかのようです。人はこの世で学ぶことを決めて生まれてくるという言葉の真実味を感じます。
 
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 唐宋八大家のうち、柳宋元はエリートから外れたことで、すぐれた著作を残しました。なぜなら、順境の時には見えなかったものが、逆境になって見え出したからといいます。
 「赤壁賦」を残した蘇 軾もまた挫折経験者です。
 順風満帆が必ずしも良い航海ではないことを知らしめています。
 「挫折を逞しく乗り越えることを可能にしたのは、平生の深思の結果が、彼に現実を超越した澄明な人生哲学をもたらしたのであろう」と『中国名文選』(岩波新書)の中に興膳宏先生が書かれています。
 福永光一先生の『荘子』を解説されているのが興膳宏先生ですから、お考えの中には福永流「荘子」が染み込んでいそうです。
 荘子は中国古代思想家の中でも、最古代ともいわれています。
 その彼が「自己に与えられたら現実をすべてとし、その中で精一杯生きる」と説いた言葉以上の教えはないように思っています。少なくとも私はこの言葉に励まされてここまで生きてこられました。
 心を柔軟にして、受け入れることの難しさを乗り越えることで、自分を逞しく成長させたいと念じています。
 波乱万丈の戦国時代を生き抜いた先人の言葉は、何のために生きるのかを後世を生きる私達に諭し続けています。
 二千年以上、人間は何も変わっていないという事実から、魂の陶冶が如何に難しいかを思い知らされます。