こころあそびの記

日常に小さな感動を

処暑の朝に

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 朝、空を見回した時には見つけられなかった下弦のお月様がこんなところにいらして嬉しくなりました。
 どんなところかというと、異動先の職場近くの空です。
 長く勤めさせて頂くと、あちらこちらと旅気分させてもらえます。東は長浜から西は播磨まで、どこに行ってもその土地ならではの発見がありました。
 今朝、この土地の氏神様「鞆呂岐神社」をお訪ねしたところ、素晴らしい祭神様がおられました。
 
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 祭神は応神天皇で、菅原道真もこの地に留まったといいますから、由緒正しき厳かさが漂うお社でした。
 「鞆」という字は「天皇の立派なお姿」を、「呂岐」は神様を表していると、記されています。
 淀川がまだその道筋を決められずに氾濫していた頃は、河内湖であったこのあたり一体の治水ができる者が権力を持ったのでしょう。
 今でも大変な土木工事を、瓢を投げ入れただけで完成させた茨田衫子は、勿論、技術を持つ帰化人のお話だったと思います。それでも、日本書紀に出てくる神通力のお話の一つがこんな近くにあったことに驚きました。
 毎朝、通勤で淀川の土手沿いを走ります。
 ゆったり流れる姿に癒されることこの上ありませんが、こんなに粛々と流れるまでに、どれほどの手が関わったことかと思うとき、それこそ、長い歴史という川の流れを思わずにおれない気持ちになります。

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 ところで、立秋も過ぎて24節気で今は「処暑」です。さらに、72候では「天地始粛(てんちはじめてさむし)」(8/28~9/1)と表されています。
 「粛」を”さむし“と読むのも暑さがおさまってきたとの言い換えでしょう。
 「粛」を辞書で引いてみると、辞書によってその由来については異なっていました。共通するところはこの字の成り立ちは”水”と関係があるということです。“水”が深く渦巻くところから、おそれ慎む、派生して「ちぢむ」に集約されます。
 四季の循環では、秋は“ちぢこまる”季節です。上へ上へと発散と成長に忙しかった陽の季節は終わり、根っこへ種へ実へとエネルギーを収束させていきます。
 そして、収穫の季節になります。
 
 去年から目にすることが多くなった「粛」。
 自粛生活に慣れてきたとはいえ、心の中では、秋の高原で深呼吸してみたいなぁと思うのは私だけでしょうか。
 もう少しだけ我慢して、そんな日が一日も早く来るように祈りましょう。