こころあそびの記

日常に小さな感動を

お茶を一服

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 いつものことでごめんなさい。

 先日、AMラジオで「あそこのラーメン屋はいつもFMがかかってるんや。俺が毎日食べに行ってるのに」と漫才師の方が話をされていました。
 相方が「ええっ!知らんのですかね?今度、言ってみたらいいのと違いますか?AMに出演してますよと」と言うと、「いや、知ってるらしいけど、音が耳に入ってないみたい」と応えておられました。
 そうなんですよね。仕事に没頭している証拠なのかもしれません。朝、店に入ったらスイッチを入れるというルーティンだけを何も考えずになさっているのでしょう。
 あるいは、音に興味がない、聞く気がない質なのかもしれませんが・・・
 
 こないだヘルプに行った店があまりにシーンとしているから、そのことを訊ねてみたら、「以前はFMを流していたのですが、だんだんしんどくなって、かえって静かなほうが仕事が捗るのです」と話してくれました。

 仕事と音は微妙な関係です。

 学生時代、深夜放送を聞きながら勉強してたのは、真剣ではなかった証ですね。
 あるいは、お年寄りがテレビを付けっぱなしにするのと同じく、シーンとしてると淋しいから流していただけだったのかもしれません。
 このように、音は、邪魔になることもある一方で、友達になって寄り添ってくれる時もある、人間にとってはなくてはならないものです。

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 この世界に溢れる音の中で、1/Fの揺らぎを持つ自然の音は邪魔にならない音といわれますがどうでしょう。
 風の音、せせらぎの音、小鳥の声。
 それさえも煩わしい日も確かにありますが。

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 日曜日、散歩のついでに逸翁美術館に寄りましたら、丁度、本日からお茶室再開という日にあたりまして、喜び勇んで参加させて頂きました。
 コロナ禍で、お道具もお茶碗も消毒して、回し飲みはなしという、いつもと勝手が違う幕開け日でした。
 私は膝を傷めてからは、お茶席には伺えなくて残念無念ですが、そんなことは些細なこと。
 小林一三さんはそんな人のために、三畳の畳の周りに椅子席を設けたお茶室を考案してくださっています。以前は小林一三さんの旧宅でいただけたのですが、今は逸翁美術館内でお点前して下さいます。
 お点前はできないので専ら拝見するばかりですが、お茶室の静けさが好きなのです。身が引き締まるような静けさの中で、お釜だけがフツフツと音を立てて沸き立つ音がする茶室の雰囲気。お点前の茶筅茶杓の音。柄杓でお水を汲み入れるとき、より深い静寂にもどる一瞬。
 行けないけれど、瞑目して楽しむことができます。

 コロナ禍で静かにものを思うことができない日々が続きます。こんな時だからこそ、お茶を一服というのは、なににもまして人々の心を落ち着かせるものです。
 千玄室さんのお気持ちが広く行き渡りますように。