”声“とはその方のイメージを膨らませる大きな要素です。
その人のその声が五月蝿く聞こえるか、好ましく聞こえるかは、個人の嗜好が決めます。
私が贔屓にしていた宝塚の生徒さんはハスキーボイスでした。ハスキーな声の持ち主なのに、劇場内に響き渡る声量にうっとりさせてもらった日が、遠い昔にように思えます。
そのかすれた声とは正反対ですが、柔らかくて艶つやしたお声の持ち主には憧れます。
倍賞千恵子さんが『PLAN75』という映画に主演なさると聞いて、彼女の声を思い出しました。
「のど自慢荒らし」といわれた少女は松竹音楽舞踊学校を主席で卒業されました。そりゃ、あの声で歌われたら他の追随は許されなかったはずです。
声の艶、リズム感、そして情感。どれをとってもずば抜けていたことでしょう。
『さよならはダンスの後に』。この歌を覚えておられる方は、団塊世代より上の方ですね。この歌が、声が好きでした。まだ、カラオケのない時代でしたが、よく真似たものです。真似たくなる歌声でした。
SKD退団後、山田洋次監督と出会い、『男はつらいよ』の伴走者を半世紀に渡って続けてこられました。
しばらく、お姿を拝見するチャンスはなかったですから、このたびの映画出演は嬉しいお知らせです。
しかも、内容はまさに団塊世代に向けられたメッセージです。
生まれてきたからには、必ず死ぬ日がやってきます。
その日の迎え方を考えるには、どうしたって、生き方がセットです。
倍賞千恵子さん自らも乳癌を患われて、生きるということに深い思いを持たれたからこそ、この映画への出演を承諾なさったように感じます。
閑話休題。
近頃、モンスターペイシェント事件が多発しています。
生と死の概念がどこか歪んできているように感じられます。
シンプルな死を簡単に許してくれない時代になっています。
政治的な政策や発達した医療にがんじがらめになって、かえって問題を難しくしています。当人だけならまだしも、周りの人間が絡むと余計に話がややこしいことに。
折しも寒中。桜の季節を目指して断食を始めた西行は一人で逝く勇気がありました。
親を背負って泣きながら姨捨山へと歩んだ息子には優しさがありました。
終末の問題は患者だけではなく、取り巻きも賢くならなくては解決に到らないと思います。
いのちとは何か、それは自然が教えています。それを掴むことです。人間には、それを掴み取る感性が備わっているのですから。
『PLAN75』がどんな描き方をされているのか少し怖いですが、倍賞千恵子さんの声を聞きたくて、観に行ってみたいと思っています。