いつもその日に合う俳句を披露される天気予報士の清水とおるさんが、今朝、取り上げられたのは稲畑汀子さんの次の句でした。
今日何も彼もなにもかも春らしく 汀子
昨日、夕飯を終えてほっとしてテレビの前に座ったら、稲畑汀子さんの訃報が流れました。
そのお顔がふくよかで、失礼ながら母を思い出してしました。
俳句なんて別世界の私ですが、こうやって、毎日ブログを書くようになって、季節をお伝えするために俳句一覧を見ることがあります。
作者名は伏せて、句だけを目で追っているうちにこれが好きと作者を見ると、それが七割くらいの確率で稲畑汀子さんの作なのです。
どこがよいかといって、素人にも分かりやすいのです。
それは、お祖父様である高浜虚子、ひいてはその師匠の正岡子規譲りの客観写生という精神が受け継がれているからでしょう。
それに加えて、女の子らしい柔らかさ、母親の視線が見えるところが彼女の持ち味ではないでしょうか。
初蝶を追ふまなざしに加わりぬ 汀子
子供を遊ばせている情景と思われる俳句が数多く残されたことも魅力です。
お父様の高浜年尾さんが彼女を「景七情三」と評しておられます。
もちろん俳句は季節感を表すことが約束です。季語をさり気なく盛り込んで、季節の一コマを切り取ります。
四季の移ろいを五七五という定形で森羅万象を詠み込むということは、一切のいのちを掬い取る作業です。
今回、いろいろ調べてみましたら、大発見がありました。
それは、彼女が「人間も自然の一部である」と唱えておられたことです。
実は、このフレーズは中医学を教授いただいている中医師・陸希先生に叩き込まれた東洋哲学の根幹です。俳句の世界で提唱し続けて下さっていたことを初めて知りました。
この言葉をモットーとして詠まれた俳句だから私のチョイスの網にかかったということなのですね。
稲畑汀子先生は「二十一世紀は『人間も自然の一部である』という根本に立ち戻り、人間と自然の調和を考えなければならない」と記しておられます。
私たちと同じこと考えてはる!すごい発見をしました。いや、今まで知らなかっただけなのですが。
山を登るとき、麓の登山口はどこを選ぼうと、もし登りきることができた時、人が見る景色は同じなんだといいます。
俳句と中医学(漢方)。一見、なんの共通点もなさそうなのに、自然を大切にするという一点で友達だったのです。
それを教えて下さった稲畑汀子さんに感謝して、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。