「青い空に刷毛で描いたような薄い雲が流れています」と教えてくれたのは、ABCラジオの浦川さんでした。慌てて外に出て写真を撮りました。
今日は二十四節気の「清明」です。
私は、この春の清明という響きが好きです。
清々しい青空のもと、春が来た喜びで、万人が気持ちの良さを感じる好季節がやってきました。
水+青+日+月=清明。
辺りは新芽が萌え、空は青く、陽光が溢れ、今宵は三日月がかかります。
では、お水は?
雨が適度に降って潤してくれるから、生物は蘇り、あるいは新しいいのちを育むことができる。清明はそんな時節です。
日本では、丁度、お花見シーズンになっていますが、中国では、「清明節」は先祖の墓参りをするそうです。
王朝が変遷を重ねても、儒教思想は人々の間に確かに根付いていることを感じます。
日本でいうところの神さま信仰。「罰当たるよ」みたいに、誰に言われたわけでもないのに知っていることがその国の風習と結びついてお国柄を作っています。
唐の詩人・杜牧(803~853)の清明を詠んだ七言絶句をこの季節にはよく目にします。
《清明》
清明時節雨紛紛
路上行人欲断魂
借問酒家何処有
牧童遥指杏花村
杏の花はこの季節に咲くもので、それが小雨に煙る遠景に真っ白に広がっている。行ったこともない中国の景色ですが、大陸の大らかさを想像します。
同じく、杜牧の「江南の春」にも、同じように煙雨の中に酒屋さんの旗がはためいている情景が詠まれています。
中国でも日本でもお酒を飲めることが出世の条件とは、アルコール分解酵素を持たない家系の人間には厳しいことです。
今は閉店された千里中央のラーメン屋さんの店内に「江南の春」が書いてあったことがあります。
「千里鶯鳴いて緑紅映ず」という書き出しの”千里“を意識してのことだったと思われます。
この詩も「清明」に負けず、リズム感が心地よいので子ども達と一緒に暗誦したものです。
ところで、清明は二十四節気の五番目で、晩春に当たります。
2月に立春、雨水。
3月に啓蟄、春分。
そして、4月の清明です。
春の到来を心待ちにする気持ちは希望です。
しかし、桜も盛りを過ぎて、むせかえるほどの春爛漫となると、人の心は「欲断魂」となり、気が滅入る人も出てきます。有り余りすぎても人の欲望は満たされないとは、難しいものです。
わりきれない思いのまま過ごすと、五月の連休あたりから鬱傾向になる人が増え出します。いわゆる五月病です。
どうすれば、そこに突入せずに済むか。それは、自然の姿を受け入れることです。
“受け入れ上手”が、最良の薬です。
「あぁ、もう春も終わりか」というため息ではなく、「花吹雪も乙なものだなぁ」という感慨に浸ることです。