こころあそびの記

日常に小さな感動を

タケノコ奮闘記

 昨日、息子が篠山の朝取りたけのこを持ってきてくれたので、朝から大鍋に入れて一回目の湯がき。昼からもう一つ鍋を出してきて二回目と、今日はたけのこ始末デーです。


 
 たけのこと五月の連休というワードには思い出があります。
 この季節は山菜採りとタケノコ堀りと田植えのシーズンです。今日みたいに気持ちのよい晴天なら、日本全国で仕事も捗ったことでしょう。
 何でもやってみるのと見てるだけでは大違い。タケノコ堀りは、言うほど簡単ではないことを知っています。土の盛り上がりを探す目が必要ですし、力も要ります。
 熟練の方に鍬を入れてもらったところを、軍手をした弱々しい手で掘り取らせてもらうことくらいしかできないのが町の子の私です。


 ところで、竹の世代交代は春に行われます。
 竹の葉が黄色くなって散っていくのは、この季節であり、晩春です。
 子であるタケノコに自分の栄養分を渡しきって、季節は春ながら、竹にとっての秋なので「竹の秋」という季語になります。
 近頃、散歩途中で、山裾に黄変した部分が見られることが多くなりました。見るにつけ、いのちの受け渡しの儀式が行われていることに感慨を深くします。

 また、竹の花が咲いたとニュースになるのは、不吉な予兆といわれたりするからですが、それはただ単に、百年に一回あるかないかの開花だからそういわれるだけなのです。
 ただ、こちらの儀式は、命を終わらせるかもしれない過酷さを持っています。
 竹は地下茎でつながって竹林を形成していますから、一斉に開花した後は、一斉に枯れてしまうという潔い命の仕舞い方をします。
 
 更に、その幹の中の空間です。
 こんな空洞があっても生きているのは、植木屋さんに教わったように、樹木は幹の表面で水や栄養の運搬をしている証拠です。
 昔の人は、観察力や想像力が研ぎ澄まされていましたから、この空洞をもつ竹の不思議さに宗教的な信仰を加味して『竹取物語』を生んだといえます。
 
 竹林はよく目にするので、筍の季節くらいし思い出してもらえない植物ですが、本当はなかなか大した植物なのです。


 もらったタケノコは孟宗竹だと思われます。
 この名前の由来は「中国戦国時代に、呉の孟宗が病気の母に食べさせようと冬に筍を取りに行ったものの、見当たらず、懇願したところ生えてきた」という古事に因んでいるとか。
 
 中国から入ってきた事物のなんと多いこと。
 今、『昭王~大秦帝国の夜明け~』を観ています。
 例によって、長い長いドラマです。
 秦の始皇帝の曾祖父である第28代昭王のお話です。
 中国統一は始皇帝一代で叶ったものではないことが描かれています。長い歴史の中の一瞬のバトンタッチ。子や孫や曾孫に伝えていくべきは何かと考えてしまいます。