「女王さま、たいへんです!」
「どうしたというの?」
森の中で野ネズミが、大きなブナの木のところにやってきて訴えます。
「笹に花が咲いています!」
「そうかい、そうかい。珍しいね。そのうち、君たちにはありがたい実が落ちてくるよ」
昨日、黒竹の花を見たとき、そんなささやきが聞こえる気がしました。
巷では、その開花周期は60年とも120年ともいわれる竹の花ですから、一生に一度見られるかどうかです。人間の一生より長いのですから、実際に観察した人がいないというのが本当のところではないでしょうか。
笹も竹もイネ科植物ですから、イネに似て栄養があります。食糧難に咲けば有り難い食料になったそうです。
記録に残るところでは、「野麦峠」があります。女工哀史として映画にもなりました。この女工たちをわずかでも救ったものが、笹の花と聞くと悲しみがより深くなります。彼女たちの経験した貧しさやひもじさは推測することさえできません。
ところで、森の女王であるブナの木も、花をつけるのに50年。付け初めても、10年周期くらいでしか咲かないそうです。咲けば、森中にその実が落ちて動物たちの格好の餌になります。
森の動物たちにとっては、有り難い恵みの年回りです。
竹の花とブナの花が同時に咲くような年には、森はパーティーパーティーで大騒ぎでしょうね。
「笹」は葉から木を取り払った字で、国字だそうです。国字というのは日本人が工夫して使い始めた字で、中国にはない字です。
「小竹(ささ)の葉は み山も清(さや)にさやげども」
と、『字通』に採用されているように、日本人の繊細な感性が捉えた擬声音から「ささ」が生まれたとあります。
「ささのはさらさら」は日本人特有の感性なら、大切にしたいところです。
閑話休題。開花にエネルギーを投入した後、枯れていく竹、笹。
地下茎でつながっているため、竹林ごと枯れてしまうこともあるそうです。
いわば、寿命が迫った親が、子孫を残すために余力を出しきっている姿です。
一生に一回見られるかどうかの花に出会った時には、「これで、思い残すことはない!」と瞬間的に感じたのですが。
でも、よくよく考えてみたら、この植物が行う奇跡の仕事の周期には意味があるはずです。
謎だ、とか不吉の前兆などと騒ぎ立てて、彼らのいのちのスパンを解き明かせない人間の持つ時間の感覚こそ、調整の時を迎えているのかもしれません。