こころあそびの記

日常に小さな感動を

『湯立て神事』に招かれて

 今日から6月です。
 仕事も辞めたのだから、これからは毎月1日に執り行われる月次祭(つきなみのまつり)に参拝しようという思いがありました。
 ところが簡単そうに思えることが実は難しいもので、どんなに自由になっても、「明日は行くぞ!」と固く誓わなければ、こういうことはスルーしてしまうものです。
 早い話が4月も5月も抜けてしまいました。
 笑い話ですが、昨晩は、真夜中にはっと目が覚めてしまったくらいに緊張しました。それくらいでないと、物事を達成できないルーズさが情けないことです。
 お弁当を作って、朝ご飯の準備をして、ばたばたといつもの朝を過ごしました。その間もずっと頭の中は「行かなくちゃ、行かなくちゃ」を回し続けて、やっと願いを叶えることができました。

 今朝お邪魔したのは宮山の「春日神社」です。
 近づくにつれ、太鼓の音が響いてきました。今日で間違いないことに安堵して、境内へ。
 晴天下の神事に数十人が参集されていました。
 この祭祀は元来、「神祇令に規定する祭りで陰暦の6月、12月の年二度、国家の安泰と豊稔を祈るため神祇官にて行われた。」とあります。
 時代が下って、今は各神社で毎月行われる報賽(ほうさい)のために行う祭りとなったようです。
 この報賽(ほうさい)。
 神さまに祈願成就のお礼のために参拝すること、つまり、お礼参りのことと初めて知りました。
 この神社の本殿には「諸願成就」の額がかかっています。みんなのお願いを叶えて下さった神様にお礼申し上げるお祭りだと知って良かった。
 お見守り下さる神様へ感謝を捧げることが、神社参拝の基本であることをあらためて教えていただいたことで、この先のお参りの心構えも変わってくるはずです。

 神事は神主さんと氏子総代の方々が本殿に上られて始まりました。
 神主さんの祝詞を奏す声、幣(ぬさ)を払う音が、前庭に控える私達にも聞こえてきます。続いて、鈴のお清めの音。何度も何度も清めていただきました。
 そして、クライマックスの「湯立て神事」です。巫女さんが笹の束を持たれたら、みんなのそわそわ感も絶好調。「塩」「米」「酒」「水」を注ぎ込んだ沸き立つお湯が笹の葉で本殿前に撒かれ、獅子も狛犬も頭からお湯を被っている様が可笑しくもありました。

 頭の先から足先まですっかり清めていただきました。
 来れてよかった。と満足していたら、宮司さんからお知らせがありました。

 「実は、今月20日から来年の6月20日まで、本殿の改修に入ります。その間、『湯立て神事』はできないことになりました。」

 そんなこととはつゆ知らず、本日お参りさせてもらえたなんて。こういうのを”呼ばれた“というのでしようか。
 神様、ありがとうございます。感謝で胸がいっぱいになりました。
 次にこの神事に参集できる日を楽しみにして、一年間励みます。お見守り下さい。
 あぁ、やっぱりお願いしちゃいました!