こころあそびの記

日常に小さな感動を

五三の桐


 今日は大形徹先生の『荘子』の講座を拝聴する日です。
 早めに家を出て、コロナ禍でしばらく行けなかったコースを歩いてみることにしました。
 大阪城公園駅から右回りでお城巡り。
 ここにくるたびに、大阪の町にお城を残してくれた秀吉さんと家康さんにありがとうと伝えたくなります。この広い空間に遊ぶ市民が、どれほど恩恵を受けていることか。ありがたいことです。


 途中、錆び付いた塀の中に、緑のツタが絡まるレンガ造りの建物が目に入りました。見覚えのある大阪砲兵工廠でした。
 建物の正面玄関の両側に植わって延び放題になっているにもかかわらず、美しく咲いている紫色の花は桐の花でしょうか。
 こんなところでさびしく生き延びている秀吉の家紋に哀愁を感じた次第です。

 『荘子』は神巫(しんぷ)のお話でした。

 今も占いは盛況のようですが、昔も、同じこと。占いへの興味は尽きることのないもののようです。
 私も子育て中にはよく占ってもらいましたから、その気持ちはよく分かります。
 考えてもどうしようもないことを、誰かに縋って答えてもらいたくなるのです。その答えに一喜一憂して、高い代金を支払って何をしていたのでしょう。
 中には寿命を尋ねる人までいます。何歳まで生きられますかと。
 わかるはずがないことまで訊いて、どうしようというのでしょう。
 
 もちろん荘子は、はなから信じてはいません。
 彼の生き方は、何事に対しても超越しています。
 本当に荘子という人物が実在していたのなら、同じ時代に生きていた人に、どのように受け入れられたか、もしくは、鼻つまみだったか知りたいところです。


 講座終了後、先生に付いて次の講演会に行きました。
 タクシーを降りたところで「少彦名神社 12:30~ 湯献祭」と黄色い旗がはためいています。 
 ジャストタイミング!
 私の家の近くの氏神様の月次祭は月初めの朔日ですのに、なぜか少彦名神社は23日、まさに今日だったのです。
 お湯かけ神事。狭い境内ですから、御守りなどは手早く片付けてお湯がかからないよう仕舞われてから始まりました。雅楽と鈴の音を頭を下げて聞いているうちに、つつがなく清めていただきました。
 こういうハプニングに神意が働いていると、自分勝手に喜んでいます。きっと神様の計らいがあったと信じる単純さが、自分を救うと考えてもバチは当たらないように思います。

 この巫女さんに会うように計画された今日に感謝です。