こころあそびの記

日常に小さな感動を

手編みの毛糸パンツ


 
 薬剤師の仕事の範疇が広がっています。その一つに老人施設の訪問があります。
 つらい現場に遭遇することもありましたが、そんな中でお話の弾んだAさんのことを思い出すことがあります。
 それは、彼女が母と同窓だったからです。そうやったそうやったと、私が聞き馴染んだ女学生の姿を彷彿とさせてくださる方でした。
 宝塚歌劇に没頭して、追っかけをすること。ブロマイドを集めること。学校帰りには、お友達と一緒にお好み焼き屋さんに寄ったこと。 などなど、生き生きと話してくださる内容は、どれも母と同じでした。
 楽しかったことを思い出すという行為は、どこにも売っていない最高の脳内活性をもたらす薬です。
 彼女を見習って、これだけはという自慢話を持たなくてはと思っています。

 ところで、経験のない私達にとっては、戦時下にあっても青春を謳歌したというのは想像しにくいところです。
 そんな戦中の青春が描かれているのが、現在再放送中の田辺聖子さんの『芋たこなんきん』です。
 彼女も樟蔭高等女学校の同窓生。その後、女専に進まれるところが母とは違うところです。
 母はこっそりと言ってました。「よかったわ。私は勉強せんでもよかった」と。それは、戦争が激しくなって、軍需工場に動員されたり、畑で芋を作ったりせざるを得なくなったためとはいえ、末っ子の甘え上手がなせる技だったのかもしれません。

 今朝のドラマで画面に大写しになった毛糸のパンツ。その編み目の手作り感が懐かしくてたまりませんでした。
 おばあちゃんが編んでくれた手編みのカーディガンを着て、真っ白な割烹着姿の彼女と一緒に公園のベンチに座っている白黒写真があります。色あせても私の大切な宝物です。
 多色編みで、前たてにちゃんとボタンが付けられたものです。
 自分で編んでみると分かるのですか、これは結構根気のいる作品です。
 物のない時代に材料を工面して孫に編んでくれた気持ちを思うと、ありがたみが今頃になって沁みてきます。
 母が誕生して直ぐに夫に先立たれ、残された工場を女手一つで回した祖母は私に残る印象よりもずっと強かったのでしょう。
 婦人会の会長をこなし、お預かりした女中さんの躾もよくして親御さんに感謝されたと聞いています。
 

 そんな語り草にならなくてもいい。ちょっと思い出してもらえるオババになりたくて、孫たちに編んでやろうと冬が近づく度に思いますのに、残念ながら、真っ直ぐ編みのベストでさえも実現したことはありません。
 だんだん大きくなる孫の背中を見ながら、今年こそ!の決意が失せていくだめなおばあさんです。

 追記

 今日は旧暦で5月5日の端午の節句です。
 元はこどもの日ではなく、邪気を寄せ付けないための行事でした。
 その中に、“粽(ちまき)”や”ドラゴンのボートレース“があります。
 コロナ禍の私達だけではなく、大昔から人類は邪鬼と闘ってきたことがわかります。
 薬があるからとかワクチンがあるからという単純な問題ではなくて、深い畏れを持った先人に敬意を払いたいと思うのです。