『チムドンドン』。主役の黒島結菜さんが上手に沖縄弁を話されるのは、どうしたことかと思ったら、なんだ、ネイティブだったのですね。
俳優さんが方言指導を受ける様子がレポートされることがあります。
音符で上がり下がりを習っても、イントネーションの表現に結びつけるのはなかなか難しそう。
中でも大阪弁は難しいようで、生粋の大阪育ちには「ちゃうやろ!」と聞こえることが多いように感じます。
独特の方言を持つ人を羨ましく思っています。その地方の温かみが伝わってくるからです。なのに、近頃は、耳にする機会が減ってきました。
何年か前、孫がちょっとした医療事故に巻き込まれたことがありました。
家族がどれほどの悲しみに沈んだことか。
治療に当たるスタッフには、その心情に寄り添える力量がある方はなく、あるいは、後々の裁判のことを考えてのことだったのかもしれませんが。
事情はどうであろうと、家族の孤独感は募るばかりでした。
そんなとき、看護婦長さんの宮崎弁にどれほど癒されたことかと、今でも方言の話になると思い出すことです。
その話術には、もちろんナースとしての経験の下敷きもあったでしょう。それでも、経験を上回る宮崎弁がないと、頑なな患者家族の心には届かなかったと懐っています。
聞けば、宮崎の方は大阪で看護の職に就かれることが多いそうです。
大阪弁にはない優しさを含んだゆったりとした宮崎弁は、これからも沢山の人を癒すことでしょう。
方言はその地で熟成してきたもの。
でも、同じ土地出身の人同士が結婚しないと、言葉は混じっていきます。
実は私もその一人。
大阪のど真ん中で育った父母の子供ですから、自分では大阪弁を話しているつもりでした。少なくともイントネーションは大阪弁だと思っていました。
ところが、小学校六年生の時、担任の先生から受けた指摘に衝撃を受けることになります。
「おまえの大阪弁は名古屋弁が混じってるな」
ええっ?にわかに信じられないことでした。
幼い頭をくるくる回して考えてみたところ、名古屋に関係のあるのは、祖母でした。祖母は親が転勤族だったので、名古屋高女出身です。
祖母の母方は播磨弁、父方が名古屋弁であることに思い至りました。
縁あって大阪に嫁したものの、言葉は名古屋弁だったから、母が聞いて育った言葉は純粋な大阪弁ではなかったのです。
言葉は出所を隠せないことを思い知ったことです。
今日もタクシーの運転手さんに効かれました。
「どちらからですか?」
「大阪です」
「そうなんですか?大阪らしく聞こえませんね。家の息子の嫁も大阪出身ですけど、妹から電話かかってきたときだけ大阪弁で話してます」
ですよね。ほっと気がゆるんだ時だけ、というか、方言で話すと家に帰った感じがするんですよね。
純粋な方言を大切にしてほしいと願います。家族が集まった時に出る和みの言葉だから。