「 たなばたさま
ささのはさらさら
のきばにゆれる
おほしさまキラキラ
きんぎんすなご
ごしきのたんざく
わたしがかいた
おほしさまキラキラ
そらからみてる 」
子供たちが小さかった頃は七夕飾りを作って楽しみました。
孫たちにも同じようにしてやりたくて、朝から娘が笹を求めに行ったみたいです。
ところが、笹はどこにも売っていないと判明。ご時世とはいえ、そんな平坦な毎日でいいのかと悲しくなりました。
仕方がないので、調達に行くしかない。なのに、住宅開発によって竹林がなくなっている。
どうしよう。
ウロウロ車を走らせていたら、この暑さの中、空き地の雑草を刈っておられるところに出くわしました。
窓越しに見ると、手頃な大きさの笹が刈られています。
「すみません。七夕飾りにあの笹少しもらえませんか」
「七夕の笹ではないけど(竹ではない)、みてきてあげる」と、刈り終わった草を踏みしめて使えそうなものを集めてきてくださいました。
お仕事中なら普通は「いいよ。勝手にどうぞ」ですよね。なんていい方にお出会いしたのでしょう。
しかも、帰り際には、車に乗せやすい長さに切りそろえてまで下さったのです。
笹に飢えていたこともあって、その優しさに感動。笹の束を抱えて、喜び勇んで車に戻ってきた娘と、なんていい人なのという話で盛り上がりました。
偏見かもしれませんが、植物を相手にお仕事をする方は特有の優しさをお持ちのように感じます。
「田舎の人はええ人」。母がよく言ってた言葉が私に刷り込まれています。
梅雨明けの七夕。昨夕、月齢7の月がきれいに見えていたから期待が膨らみます。
七夕伝説は中国発祥といわれます。
中国の大河は向こう岸が見えないくらい広いそうで、夜にはその川が下っていく先に、空の天の川が繋がって上っているように見えるそうです。(中国では海を知る人が少ないのです。)
それは、水平線上に星空が広がる様子を知る、海が身近な私たちと同じ感覚でしょうか。
それを詠んだのが芭蕉の名句です。
七夕の空に浮かぶ天の川は海に繋がって見えるはずです。
たとえ荒天であったとしても、心眼で感じる自然の壮大さが詠みこまれています。
誰もが違ったシチュエーションでこの句を思い出すことができて、年齢に応じたスケールを感じるから生き続けていると感じます。
七夕伝説は紀元前後の成立。
昔の人の観察力の凄さを思い知るのは、星だけではありません。
二人の逢瀬を仲立ちする鵲橋もそうです。
これは、鵲が群飛ぶ様子が空に橋を懸けているように見えることに由来しています。
古代の人に倣えば、この世の宝物はまだまだ隠されているのかもしれません。心眼を濁らせないよう生きていきたい。短冊には、そう書こうかな。