こころあそびの記

日常に小さな感動を

生ききった人

 梅雨が明けても蝉の声が聞こえなくて、蝉が季節について来ていないのではと心配していましたが、今朝ほどようやくその思いから解放されました。
 朝蝉がお弔いのように鳴きました。
 陽が上るにつれて静かになってしまった蝉は、慎みをわきまえているように思えて、それがまた胸の波立ちを助長します。
 

 日本中の人が、信じられない思いでいます。
 こんな別れがあってはならないと。
 どこかのアナウンサーが「つらいニュースが続きます。しんどくなったら、自分を癒やす時間をもちましょう」と、アドバイスされていました。
 彼の真摯な言葉が、視聴者に届くことを祈りたい気持ちです。
 深くゆっくり呼吸いたしましょう。

 突然のできごと。残されることになったご家族の無念は、想像することさえ憚られます。
 ましてや、ご高齢のお母様は、どれほどのお力落としかと。
 夫に先立たれて三十年以上、息子たちの成長の見守りだけを糧に生きてこられたはずです。
 普通、このご年齢のお母様には伏せるという選択もあるでしょうが、お写真を拝見したかぎりでは、まだまだ陣頭指揮さえお取りになれそうな気丈な雰囲気を拝察します。きっと、しっかりと現実を受け止めてくださるはずです。
 そうでないと、最後の仕事が全うできないことは、誰よりもよくご存知であるように思います。

 そして、よくがんばってくれた、と天国でお父様の晋太郎さんが抱きとめてくださっていることでしょう。
 思えば、父である彼も病という無念の退場でした。
 そして、今、また持病を抱えながらも、日本とは何かを説明できるご子息が無念の凶弾に倒れるとは、悲しすぎます。

 安倍晋太郎さんは私の父とは岡山にありました旧制第六高等学校の同級生でした。それだけに、息子さんには親しさを感じ、応援の気持ちを持って見てきました。
 ポッと出の政治家にはない、長い歴史の上に生きているという使命感を持った貴重な方でした。彼が発信した強いメッセージはどっしり張った根っこから発せられたものだから真実味があったのです。

 心からご冥福をお祈りいたします。