今朝、近くの千里川に見たこともない数の白い鳥が飛来していました。いくつかのグループに別れて、互いに鳴き交わしているのです。
通りがかりの方に「昨日は来てましたか?」と訊ねたら、「いや、こんなのは見たことないな。一羽ならいつもいるけど。餌もなかろうに」と心配されていましたが、小魚を啄む個体もいましたから、ご心配にはおよばないようです。
旅終えて眠る白鳥朝ぼらけ
羽の中に顔を突っ込んで休んでいる鳥もいたので、一夜の飛行に疲れて休息中というのは、素人の見方ですし、鳴き声からハクチョウでないことも了解しています。
それでも、これだけの群で飛来となれば、想像は膨らみます。童話チックですが、昨日、一昨日の寒波に乗ってシベリヤからやってきたのかしらと。
昨日の朝の冬の雲です。
山の上にいくつもゲンコツを並べたように見えました。
大きさで勝負する夏の雲の峰とは明らかに違って、堅くて重い意志を感じます。それは、冬という季節の特徴で、腎とはまさにそういう働きをもつ器官です。
古代の人の、自然と体の観察力の確かさに感心するばかりです。
昨日の続きになりますが、薬師寺玄奘三蔵院の壁画を描かれた平山郁夫画伯は瀬戸内でお生まれになっています。日本のなかでも、瀬戸内ほど穏やかな場所はありません。
しかし、広島で被爆体験をされました。
そのことが、彼の精神にどれほどの影響を与えたことかは不明ですが、傍からなんと言われようと、祈り心の灯が消えることはなかったと拝察いたします。
「大唐西域壁画」の制作は二十年を要し、4000枚のスケッチをしたといいます。
ラピスラズリが塗り込められた天井の星々。隊商が行く砂漠の夜空。
玄奘三蔵が見たであろう光景が再現されています。
何が何でもお経を持ち帰るのだという強い意志を表した言葉が、玄奘塔の扁額に認められた高田好胤管長の手になる染筆『不東』です。
三蔵法師の決意と平山画伯の平和希求はどこか繋がっているように感じました。
その教え子、田渕俊夫画伯が、先年、食堂の完成に合わせて奉納されたのが『阿弥陀三尊浄土図』です。
落慶後に披露された折には、その阿弥陀様が優し過ぎるように思えたくらいでしたのに、昨日、堂内に入りましたら、なんと癒やされたことでしょう。
田渕画伯は平山画伯とは対照的に、自然との対話がモチーフなのではないでしょうか。
瀬戸内の渦潮、畝傍山の緑の美しさ。
堂内に満ちる気は、訪れたすべての人に心の安らぎを思い出させるに違いありません。