突然ですが、大形先生のお勉強メンバーの中に、庭園を研究されている方があります。
彼は、長らく高校で漢文を教えておられましたが、今は引退されました。現役の教師でおられたときから趣味で庭園巡りを始められたそうで、現在は三冊目の自著の制作に励んでおられます。
お庭を拝見する。お寺に行けば、拝観セットに付いていますから、ぐるっとひと回りして、いつしか記憶から遠ざかっていくことを繰り返しがちです。
しかし、彼ならこう観ます。
「阿波国分寺」の池泉回遊式庭園の記事から拾ってみます。
「亀石、鶴石、石組みの橋、これらは中国の神仙蓬莱思想の影響を受けている」
神仙蓬莱思想とは、東方の海上にあって仙人が住み不老不死の霊薬があるとされた島です。
「三尊石組」は、阿弥陀三尊、釈迦三尊などを表すから仏教思想の現れとされます。
そして、「阿波国分寺」の庭園では、それらを地元の阿波青石で組んでいるというのです。
庭園を観賞するのに、中国哲学、仏教、歴史、地方の特色など、なんと勉強することが多いことでしょう。
そして、絵画でも仏像でもなく庭園というのがいいですね。
一つ一つ、楽しんで観賞してもらえたらと結んでおられます。
日本には国宝級の庭が20件、重文級は200件を越える数が指定されているそうで、多分、私も、相当数行ったことがあるのに、記憶が薄れてしまっています。
何も知らなくてもお寺巡りはできますが、少し知ることで、観察眼が開いて、より深い感動が味わえるはずです。
しかし、ここが面白いところで、知ったから、知らないときに感じた感動があるかというと別物なのです。分析しすぎは、感性を失わせてしまいます。
先日、梧桐の種子をつけたプロペラがあんまりかわいいので、大形先生に写真を送ったら、返ってきたコメントは「かわいいが正義」でした。
さすが、荘子の先生です。
生きる妙がここにあるように思います。
知識に先んじるものは、感性です。自己弁護ではありませんが、かわいいものをかわいいと感じる心が健全であるとき、人は生きているのだと思いました。
その上で、知識は獲得しておくべきでしょう。
たとえば、積雲よりも絹雲の方が高い空にあると知っていたら、天がより高く感じられるかもしれないという程度には役立ちそうです。
それにしても、この世にはなんとたくさんの勉強の種が落ちているのでしょう。
際限がなくて、とても、拾いきれないけれど、もし縁あって拾い上げたものなら、秘密の入り口くらいには立ってみたいものです。
もちろん、お寺巡りの際には、庭園拝見も忘れずに!