若い頃、外国映画といえば米国のものでした。
それは、たぶんに西洋文化への憧れでありました。例えば、キッチンの色や大きさ、壁紙の模様、ベッドやドレスという見たことのない異文化を知る楽しみだったように思います。
それが、この年になって、中国ドラマにはまろうとは、自分でも信じられないことになっています。
その発端は、なんといっても大形先生に出会い、中国の歴史を紐解いていただいたからこそです。
中国の歴史ドラマは、史実に基づく作りになっていて、私のような初心者の勉強を助け、壮大な歴史を少しずつ理解するのに役立ちます。
とはいえ、足の引っ張り合い、妬み、裏切り、謀略など、大陸に繰り広げられるそれはスケールもでかく、島国日本には同じようなことがあったとしても、比べものにはなりません。
古くから伝わっていた儒教は、江戸期の幕府によって採用されましたが、日本人が得意とする技で「日本仕様」になっていたため、染まりそうで染まりきらずに今に至っています。それは、日本には、神道や仏教も混在していたからです。すべてを受け入れてミックスしても混乱しない下地があるのが日本です。しかし、そこが、他国からみるとわかりづらい部分といえるかもしれません。
今朝、『天命の子』の最終回を見終わりました。
自分の子供を犠牲にしてまで、君主の子供を守り育てるお話でした。
ラストシーンで、君主の遺児が育ての親から、人間として最も大切なことを説かれます。
「樹をみてごらん。なにで立っている?幹だね。でも幹より大切なものは根っこだよ。根っこは土の中にあって、栄養や水を吸い上げている。それは、見えない働きだ。
人間にあって、根っこは何だろう。それは、父母であり妻子だね。仁愛こそ、公の道理なんだよ」
この話は『史記』にも登場する紀元前の出来事だそうです。
科学技術の発達につれて、便利になり、一見美しくなっていく社会の景色に比して、人間の心の中はどうして変わらないのだろう。いつも、そんなことを考えてしまいます。
社会が発達していくように、人間だって成長できたら、どんなにか住みよい平和な時代がやってくるはずなのに。
いまだに、領土の取り合いに血道をあげる人類に、打つ手はあるのでしょうか。
人間として一番大切なものに気がついた人が一人でも増えんことを。