こころあそびの記

日常に小さな感動を

助けられて

 

 早々と、北国から初冠雪の便りが届きましたね。

 家庭菜園も夏じまい。

 うかうかしているうちに、シソが繁殖力を誇って、大変なことになっています。

 家人が刈り取った大きなシソの山にシジミ蝶が群れていました。この子たちは、シソの花の蜜を吸うために集まっているらしいのです。あんなに小さな花にストローが嵌まるなんて。自然は無駄を作らないことに、一つずつ感心させられます。

 

 

 さて、今朝の『舞い上がれ』で、高畑淳子婆ちゃんの逞しさに惚れ惚れしました。

 娘の子育てに手を貸してやろうとする、母親を好演されていて、ついホロッとなりました。

 辛い子育てを経験されたからこそのはまり役ではないでしょうか。一歩引いて俯瞰できる祖母の思いが伝わってきました。

 

 このお婆ちゃんの勘が孫を元気にしていく展開なのかなと、画面を見ながら、つい私の母親を思い出してしまいました。

 

 それは、末娘を出産したときのことです。

 前から具合のよくなかった次男が、娘の分娩直後に肺炎を発症してしまいました。当然、私たちのいる病院に入院することになります。

 

 どうすればよいのでしょう。

 ベッドサイドにナースさんがやってきて、

 「お母さんに、次男さんの病室にお世話に入ってもらって、あなたは赤ちゃんと家に帰ったらどう?」

 「いいえ、それはできません」

 「なんで?実のお母さんさんなんでしょ?」

 今も、あの看護婦さんの驚きの言葉が忘れられなくて、そうだよね。信じがたいよね。と笑ってしまいます。

 母は娘のまま大人になったような人でした。孫を預かるなどという度胸がなかった。つまりは、人の何倍も心配性でした。

 だから、ドンと任しとき!という肝っ玉婆ちゃんの今朝の高畑さんを見て、あの日の母を重ねてしまったのだと思います。

 

 さて、この人生最大級の苦難を乗り越えられたのは、母以外の周りの人の救いの手が差し伸べられたおかげでした。

 ラッキーだったことに、その病院の小児科に研修医に入っていた高校時代の同級生がいたのです。

 こんな幸運あるでしょうか。

 もし、彼がいなかったら話はこじれて、私もその後、心根の浅ましさを増長させたかもしれません。しかし、あの当時を思い出す度に「ありがたかったなぁ」と感謝を覚えるのは、彼の「赤ちゃんは小児科で預かってあげる」というひとことでした。

 私は次男の付き添いとして同室でゆっくり休ませてもらうよう計らっていただいたのです。

 

 生まれて直ぐのさびしさを味わった娘は、今、埋め合わせのように私のそばに居てくれます。

 もちろん、夫や近所の皆様や父母などの助けがあったことは、病室の中からは見えなくとも感じていました。

 みんなみんな、ありがとう。

 不器用な母と、それに輪をかけて不器用な子育てをしてしまった私。

 こんな親なのに三人が育ってくれたのは、たくさんの人の手を煩わした結果です。助けて下さったすべての皆様に感謝しかありません。