こころあそびの記

日常に小さな感動を

いそがない、あせらない

 

 晴れの日曜日。

 出て行きたくて、うずうずしてしまいます。

 急に思い立って、布引ハーブ園に行くことに。例によって、高い所から、下界を眺めたくて電車に飛び乗りました。

 こういう日は、人は同じことを考えるようで、ハーブ園に上がるロープウェー乗り場に長蛇の列を見たときは、少し怯んでしまいました。

 それにもめげす、30秒に1台出発するとして400人が乗り終えるのに何分かかるでしょうか。なんて、小学生気分で並んで待ちました。

 

 

 予想通り、山頂から見る下界は遠く紀州山脈まで見えて、遠い山影には海霧が横たわって白くたなびいています。

 いい日に来させてもらいました。

 山頂のハーブ園で三々五々家族連れが戯れている様子を見かけては、自分の子育てを思い出してほっこりしました。

 

 

 美しく手入れされた園内には、ハーブの植え込み散策路の他に、ハーブが体験できるスペースが用意されています。

 いろいろなハーブが一種類ずつ、石鉢に入れられて石棒が添えられています。

 一鉢つずつ、石棒でゴリゴリかき混ぜてから匂ってみました。

 どれも、草の匂いがしました。

 先人がこの微妙な違いを嗅ぎ分けて、料理や薬やお香に使いわけたことに思いを致してしまいました。

 

 自分のみならず、その頃に比べて、現代人の嗅覚は格段に鈍化していると思われます。

 その理由は、消臭だの、香り付けだのと、匂いの感覚をマヒさせるような生活環境をよしとする社会になっている現状と、加えて、長期間のマスク生活です。

 このように疲れきった嗅覚では、先人と同じようにいかないのはあたりまえです。

 

 人間の感覚器官は眼は二つ、耳二つ、鼻二つの穴、舌一枚。全部で七つの穴があります。

 

 

 この七つの穴を題材にした話が、『荘子』の「応帝王篇第七」に出てきます。

 南の帝王「儵(しゅく」と、北の帝王「忽(こつ)」とが、話し合って、穴を持たない中央の帝王「渾沌(こんとん)」に、親切心から、七つの穴(七竅)を開けてやります。

 その結果、七つの穴が開いた七日目に「渾沌」は死んでしまいました。

 

 読み解き方によってたくさんの教訓を織り込んだ『荘子』らしい話です。

 ここでは、「渾沌」は未分化の本来あるがままの姿の象徴を表しています。

 「儵(しゅく)」と「忽(こつ)」は、どちらもすばしこさ、つまり人間の頭の回転の良さを表しています。

 よかれと思ってしたことが必ずしも正しい結果には結びつきません。日常、私たちがやってしまいそうな行為です。

 

 小賢しい行為が、あるがままの姿を葬ってしまう小咄。

 これは、人間社会が犯しがちなことへの警告です。紀元前にすでに気づいている人がいたのに、未だに社会はより高く、よりはやくに固執したままです。

 何に気づけばいいのか。

 老荘では何もしないこと、「無為」を強調しています。

 

 たとえば、こうしなさい、ああしなさいという王を持つ国よりも、ぼーっとした王の国の民の方が幸せだというのに似ています。

 何もしてくれないと嘆くのは、初心者です。自分のことを自分で考えるようになれば成熟した社会になるということでしょうか。

 

 

 嗅覚をくすぐられた体験から、つらつらそんなことを思いました。

 健やかに生きるコツの一つに、「渾沌」が表すように、ゆったり伸びやかに過ごすことがあります。

 小賢しくならなくていいのです。

 行き詰まりを感じるのは考えすぎ、分析のし過ぎです。そんなときは、休むこと。焦ってはなりません。時間のスピードを緩めることが、あなたを守ります。