こころあそびの記

日常に小さな感動を

巫女の舞

 

 上六の近鉄百貨店へ、大形先生の『荘子講座』を受けに行きました。

 途中、谷町筋にも上町筋にも、「生國魂神社」の紺色の大きな幟が立てられていました。

 夏祭りが近いのですね。

 講座の始まるまで30分あります。そうだ、茅の輪くぐりに行ってみよう。

 ラブホテル街を抜けるとき、清掃会社の人々が十人ほど、制服を着てホテルに入っていくところを見ました。

 いろんな仕事があることに感慨を覚える暇もなく、次はピンヒールを履いてホテルに入る人を見かけたりして、自分の好奇心が、若いときと全く変わっていないことが可笑しいことでした。

 

 生國魂神社は、茅の輪はまだ設えられてはいませんでした。が、朝一番の結婚式の真っ最中でした。

 宮司さんの歌に合わせて、巫女さんが舞われていました。

 歌がある舞は初めてでした。

 こんなおめでたい朝に遭遇できたことがうれしくて、昇殿前で、お二人の門出の祝福の輪に入らせていただきました。

 おめでとうございます。末永くお幸せに。

 

 

 ところで、きのう、先月生まれた孫が顔を見せてくれました。名前は”鈴“です。

 これから先、この子のために行く先々で鈴を集めてやろうと念じていたところです。その端緒が生國魂神社になろうとは。

 それも、ご縁でありましょう。

 結ばれたお二人にあやかって、幸せになりますように。

 

 

 『荘子講義』は、内篇応帝王篇の一節でした。

 占い師の話です。

 荘子を読むたびに、人は古代から何千年も、まったく変わっていないことに愕然とします。だから面白いと思うべきか、あるいは、この先の悩みも変わらないことに思いやられるべきなのか。

 今も、相変わらず人間は弱いものです。

 長生きしたい。幸せになりたい。お金持ちになりたい。など、そんな望みがあるうちは、占いが繁盛します。

 

 このお話に登場する列子は、生死存亡まで言い当てると評判の占い師を訪ねます。

 列子はすっかり心酔して、自分の先生にまで、占ってもらうように進言します。

 先生はその占い師のレベル程度の人ではありませんでしたから、占い師を弄び混乱させてしまうというところで終わります。

 

 

 天に神様がおられて、地に人が居ます。それを繋いで、天の意を人民に伝えるのが占いといわれます。

 しかし、いつ生まれていつ死ぬかなんて誰にも分からないことです。

 なのに、知りたい。

 それは、ほどほどにした方がいいと思う一つの例があります。

 

 これは、今から五十年くらい前の実話です。

 よく見えるとうわさされる人のもとに、身許を隠して、取材目的で行ったジャーナリストがありました。

 よく見えるという占い師に正体を見破られ、「何月何日に死ぬ」と言い渡されました。

 そしてそれは、本当になりました。

 

 占いはおもしろ半分にするものではない、というのが庶民の心得です。

 君子危うきに近寄らず、がよいみたい。くわばらくわばら。

 

 

 帰宅して、車を停めたら、目の前に、こんな大きな青虫がゴロンと転がっていました。

 娘の好きなオオスカシバの幼虫です。どうやら、草刈りをしたので行き場をなくして迷い出てきたみたいです。

 早速、百均でカゴを買ってきて、観察が始まりました。マメな人達です。