昨日のこと。
ひょんなことから、一冊の本を探し出さねばならなくなって、本箱の中にしまってある子たちとひさしぶりに対面することになりました。
占い師に云われたことがあるのです。「あんたは本に囲まれてると落ち着くやろ」と。
それは、的中していまして、身辺に本がないと落ち着かない性分です。
父が「活字がないと落ち着かん」と言ってたことに関係があるのかないのか。
A型人間ではないので、出したら出しっぱなしときてますから、自室はお見せできない有り様です。
手元に出ている本の中に目当ての本がなかったので、本箱を探し始めて気づいたことがありました。
それは、どの本も本屋で手に取った時の感覚の蘇りが感じられたことです。あの時のままという気持ちです。
どの子も好きという気持ちが色褪せていないのです。
普通は、時間が経てば思いも変わるはずで、興味が逸れていって当然かと思うのに、これはどうしたことでしょう。
成長していないということでしょうか。
そんな疑問に応えるように、「人の本質は変わらない」と聞こえてしました。
オギャーと生まれて、子供から大人へ、そして老人になろうと、自分は自分のままであると、私は常に感じています。
自分の好きな世界は変わらない。それが、自分だからとも考えられます。
お目当ての本は結局見つからず、よくよく考えたら、「Kindle」版でスマートフォンに収まっていました。
これは、稀なことです。活字の本が廃版か売り切れの時だけ、仕方なしに購入します。
なんといっても、本は紙がいのちです。
紙は神。
ページを捲る楽しみもさりながら、その作者の方々と共に居る安心が贅沢感を生みます。
因みに、昨日、また読んでみたくて取り出した本は「老荘」や「三好達治詩集」、高橋順子さんや細川護煕さんの「エッセイ」など。驚くことに、どの本も十年も二十年も前の本です。
その頃と、全く嗜好の変わらない自分とは何なのでしょう。
それが、自分。本箱がそう囁いてくれたひとときでした。