昨日の続き。
後ろ髪を引かれる思いで会場を後に、とはいうものの、滞在時間はほんの十分程度であったと思います。
外に出て、やっと心落ち着かせることができました。それでも立ち去りがたく、外の飾りケースの中に、この言葉を見つけて、ようやく自分を取り戻したように思いました。
「更待何時」。
細川展では、何度か見かけるこの禅語。
「時は待ってはくれない。
今やるべきことは今やらねばならない。」
私も好きな道元禅師の言葉です。
そこで、思い出したのは、妙心寺塔頭の退蔵院で先日拝見した国宝『瓢鮎図』です。
まず入り口で。この寺の所蔵品であることをご存知の方なのでしょう。「本物は此処にはないのですね」「今はどこにあるのですか」と受付の方に詰め寄り、最後に「まぁ、全国の美術館を巡回することもあるでしょうからね」と自得されるまでに随分な時間を要した問答が、答えが噛み合わない禅問答のようで微笑ましいことでした。
反対に、その絵の存在さえ知らずに行った私は、誰もいないのを見計らって、園内の茶店の女性にこわごわ訊ねてみました。「”ひょうせんず“って読むんですか?」と。即刻、「“ひょうねんず”です」と得意げに返ってきました。
ですよね。絵は「鯰」ですもんね。
漢和辞典を引くと、中国では、鯰という字はなくて、鮎という字でなまずを表すとありました。
中国語ではどちらも〔ネン〕と発音するため、はじめに音ありき、の原則からすると、鮎と鯰の混同は理解できるところです。
ちなみに、日本では、あゆは「鮎」、なまずは「鯰」と書きますが、いずれも国字(日本発案の字体)です。
さて、その昔、神宮皇后が戦勝占いに鮎を釣ったといわれますから、鮎は古くから占いに使われていたようです。だから魚ヘンに占うで鮎です。
春に生まれ、夏に長じ、秋に衰え、冬に死すということから、「年魚」とも、香りが良いから「香魚とも」呼ばれる鮎。
春になると、吉兆魚とか若鮎とかいう名前の和菓子が並びます。魚とお菓子。似つかないと思っていたけれど、鮎が特別なお魚といわれても、分かったような分からないような。
そんな鮎と鯰の共通点は何か。
それは、「なまずが暴れると地震がおこる」という言い伝えにありそうです。
占いに頼らざるをえないことも古今、変わりありません。
つまり、鯰も鮎も、目に見えないものを読む助けに使われたところが似ているというわけです。
そして、『瓢鮎図』。
鯰のようにヌルヌルしたものを、ツルツルした瓢箪で抑えつけることができるかという禅問答が、絵に表されています。
この考案を絵にするように命じたのが室町幕府第4代将軍、足利義持です。余興といえど、三十一人の高僧が問答に参加していることからして、当時の将軍の力と高い教養の程が知れます。
「鮎」のことを美しいと思うか、おいしいと思うか。
絵を書く方には、絶好の題材でも、私が思い出すのは、琵琶湖畔でお腹いっぱい食べた鮎たちです。占いの”う”の字も知らない頃の話です。