こころあそびの記

日常に小さな感動を

ブーニンさん

 

 雨が近い山景色。

 

 

 ひっつき虫みたいに見えた実がはじけて、丸いぼんぼりになって、運んでくれる誰かを待っています。くっつけないように注意していたはずなのに、知らない間に持ち帰ってしまうのは、アメリカセンダンギクという草だそうです。

 幼いとき投げ合って遊んだ“ひっつき虫“オナモミは、絶滅種になっているなんて知りませんでした。そう言えば見かけないようです。野草の世界も生き残るのはたいへんです。

 

 

 生姜の花が浅い川の中で咲いているのを見つけました。その横の畑で静かに耕されていたおじいちゃんが、ひょいと投げた所に根付いたのかな。

 滅びるものあれば、逞しくいのち繋ぐものもある。自然界の掟の厳しさです。

 

 

 録画していた『それでも私はピアノをひく~9年の空白をこえて~』というスタニスラフ・ブーニンのドキュメンタリー番組を観ました。

  彼が活躍した1980年代は子育てで忙しく、すごいピアニストが彗星のごとく現れたというニュースしか知りませんでした。

 あらためて、ショパンコンクールの音を聴いて、その音の切れ味に驚きました。指がどのようにでも動くということが彼の持ち味でありました。

 そのことと、関係があるのかどうかは不明ですが、あまりに過酷な使い方をしたために病気を引き起こしたとしたら、神様は残酷です。

 石灰沈着性腱板炎で左手が動かなくなり、左足は糖尿病で切断の憂き目に合われた上、さらに、追い打ちをかけるように最愛のお母様を亡くされたとなれば、心の喪失感も尋常ではなかったはずです。

 

 

 苦境に沈むブーニンを支え励まして、身の回りのお世話をされた奥様が日本人であったことはうれしいことでした。

 昔、あるご婦人が「私は文化勲章を授与されるご夫婦をみる度に、奥様のえらさを垣間見る思いがします」と仰っていたことを思い出します。

 ドイツで恋に落ちて・・ロマンスが続いて、今も尊敬しあう関係でおられるなんて。これからもお幸せでありますように。

 

 

 それから、彼は日本が好きだと仰っていていました。東京にに来た時、しばらく路肩に車を止めて行き交う人を眺めたそうです。

 私たちにとって当たり前の生活が、当たり前ではない国があります。

 彼はソ連で生まれて、演奏活動も制限付きで、緊張の毎日だったそうです。

 演奏旅行中のドイツ亡命劇は、画面を観ている私の方が緊張してしました。

 自由を手に入れるために命をかけなければならない人々が、未だに存在していることに胸が詰まりました。

 

 

 鴨たちのかわいらしさ心奪われ、悠長に自分を癒やせる時間を満喫できるなんて、最高にしあわせなことです。

 

 辻井伸行さんが、手足をバタつかせて喜んだという、ブーニンが弾くショパン英雄ポロネーズ』を聴かなくちゃ。