こころあそびの記

日常に小さな感動を

芦原池にて

 

 片雲に誘われて、今日もお散歩に出かけました。

 

 今日のお目当ては芦原池です。

 情報によれば、オオバンが大挙押し寄せているとのことですから、それは見ておかなくてはと思った次第です。

 

 

 静かな湖畔には、人影は疎らなのに、ヒヨのけたたましい鳴き声だけが元気でした。

 池の方に歩いていくと、池の向こうの方からこっちへ水鳥達が移動してきます。みんな、お顔をこっちに向けてやってくるところは、シャッターチャンス!カメラを取り出しながら、でも、なにかおかしい。

 野生の鳥たちにこの行動を起こさせているのは、ひょっとして。

 案の定、私に失望した彼らは、程なく方向を変えてあっちの岸の方に大移動し始めたのです。

 

 

 水鳥の種類はオオバンキンクロハジロホシハジロヒドリガモなどでしたが、オオバンが先日より数を減らしていたことが、気になります。

 

 鴨たちの種別の判別がマスターできていないので、Googleにお世話になりながら撮影していたら、向こうの方に集まっていた鳥たちが争いを始めたのです。

 やっぱりです。

 鳥に餌を投げ込む人がありました。

 

 

 「あんな小さい体でシベリアまで、よぅ帰れるなあ」と話しながら、一組のご夫婦が通り過ぎて行かれました。

 そうですよね。そのためにも、彼らは自分の力で餌を取らないとだめだと思うのです。

 餌をあげると鳥たちが寄ってきてくれます。楽しいから私だってやってしまいそうです。

 でも、そこは、人間として同じ動物として、自制心を働かさなければならないところではないでしょうか。

 

 

 親が食べてたものを探して、同じものを自分で取って食べることが、生き残りの絶対条件です。

 

 人間だって、ファストフードに慣らされてきて少しずつ弱体化していないですか?

 それを感じ始めてた体が、自給自足とか手作りとかに回帰しようとしているように見えます。

 

 私たち動物は、体の根幹に届かない食物では、パワーがでないのです。

 渡り鳥が、何千キロも不眠不休で昼夜飛び続けている様子を想像してみてください。

 驚くべき体力です。

 それを支えている食物は、川底の藻類や岸の草なのです。それがパワーの源。それらを採らしてあげましょう。

 確かに白鳥はカッパえびせんが好きです。しかし、それだけでは、きっと子孫は繁栄できない。独りで生きていく力がないから、人間を頼りにする。

 それじゃ、食物連鎖が途切れるだけでなく、異質な生物構造になっていきそうです。

 

 

 目の前さえ良ければいい。自分さえ楽しかったらいい。

 それが、蔓延しつつある社会です。

 もっと、広く見渡して考えたら、野鳥に餌やりという行動の可否は判断できそうに思いましたが・・