こころあそびの記

日常に小さな感動を

吉兆?!

 

 町に出ると寄りたくなるのは本屋さんです。

 近頃は、心づもりのある本を探すというよりも、ふらっと入ってみるということの方が多くなりました。

 紀伊国屋なら茶屋町に抜ける方の入り口に、お勧め、または、ベストセラーを並べた書棚がありまして、通りすがりにちらっと見れば、時勢が窺えます。

 売って欲しいと出版社からプッシュのある本は平積みに、また書棚に表紙側を見せて面陳列している本は書店の押しとか。

 普通に棚に背表紙だけ見せるのは背差しという並べ方らしいのですが、ド近視の老眼の私には、上の方の棚は見づらいことです。

  

 面陳列してあった『大阪を古地図で歩く』という本が残り一冊となって、支える友もなくさびしそうに傾いていたので、ちゃんと立ててあげるつもりで手にとったが最後、だめですね。こんな無駄遣いは卒業しないとだめと自戒しながら、またもや買ってしまいました。

 

 

 実はこの本に製本上のミスが見つかったのです。

 57、58頁のところの紙が破れてる!と、初めは、思いました。

 ところが、「最後に残されてひっくり返ってた本だもんね」と思いながら、パラパラと本を繰ってみると、明らかに本の三方は切断されたままの状態で、誰の手にも触れていないことが推測できたのです。

 つまり、破れたのではなく、製本時の紙に問題があったとしか考えられなくて、暇潰しに、企画会社に訊ねてみました。

 電話口の男性は、恐ろしいクレーマーだったらどうしようとタジタジで、かわいそうだから追求は止めました。

 本の最後に必ず書いてある「落丁本、落丁本はお取り換えします」はこのことだったのですね。

 それでも、敢えて、交換してもらうまでに気持ちが動かないのは、こんな経験初めてだからです。

 まるで宝くじに当たったような気分というのでしょうか。

 

 

 本の最後の項目は「豊国神社」のことが書いてありました。

 

 秀吉が亡くなって、初めは今の京都国立博物館近くにお祀りされ、それが家康に壊された後、大阪中之島に。そのあと昭和36年大阪城内に移されたと知りました。

 「そうだよね」。この町の子供として育ったのに、神社や秀吉像を見た記憶がないのも当然で、存在しなかったのです。理由がわかって胸をなで下ろしているところです。

 果たして、積年の疑問を解いてくれた本ということで、手元に残すことになりました。